ベイビー

Hereのベイビーのネタバレレビュー・内容・結末

Here(2023年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

名前のない世界…

冒頭から意図的に強調される緑、緑、緑。そして主人公のシュテファンは、自分の部屋からビルが建ち並ぶ景色を見て、まるでタイトル回収をするかのように「ここは自分の部屋だ」と呟きます。

“緑”と“都会”。

一見対比ともとれる二つの描写。しかし作品をよく観て行くと、この二つは似たもの同士だと言っているよう感じました。

スクリーンに映し出された色彩を、一括りに“緑色”だと捉えることは容易なことです。しかし当然のことながら、画面を彩っている“緑”は、ペンキで塗り潰したような単色の緑ではありません。

画面を彩る“緑”は様々な植物が混ざり合った集合体です。その植物も大まかに、葉や草、苔といったような分類ができ、分類されると更に細分化され、固有種として名前が付けられます。その固有の植物たちは皆一様に違う緑の色をしています。

それは都会のビル群も同じです。窓から見える似たり寄ったり建ち並ぶビルにも、それぞれ名前があり、住所があり、それら独立した個の集合体で街が造られています。

そしてスープの中身やポケットに入っていた様々な種も同様に“個”の集合体です。シュテファンが作ったスープは冷蔵庫の余り物。食べる人にとっては中身などあまり関心なく、味が良ければそれでいいのですし、ポケットの中の様々な種も何の種か分からなくとも、植えてしまえばどれも緑を芽吹かせるのです。

こうしてこの作品を俯瞰で観ていると、“個”と“集合体”の存在を丁寧に描いているよう感じられます。それを軸にこの作品で表現しようとしたものは、やはり人と人という“個”の繋がりでないかと思うのです。

シュシュの登場前、彼女の語りで「名前が思い出せなくなった話」をしています。

“それ”がそれとは認識できるが、名前が全く出てこない。そのことで少しパニックになるが、その状況を飲み込めばその名前の知らない物たちは、全部自分の一部になったような気がする。しかし一つ名前を思い出すと、それをきっかけに全ての名前を思い出して行く…

この語りの中で、“名前”は“個”を表しているのだと思います。全てに“名前”がなければ、その空間は“一つ”に纏まります。乗り合いバスなんかが良い例です。同じ方向に向かう人たちで空間は纏まり、名前の知らない他人同士が乗り合わせて移動をします。その隣に誰が座ってようと気にも止めません。

ある日シュテファンも目的地に向かうためバスに乗っていました。そこは他人同士が乗り合わせた一つの空間です。その道中シュテファンが不意に隣の人の腕に触れてしまい、彼はその女性に気遣って謝ります。しかし触れられた事に気づかなかった女性はなんで謝られたのか分からず、何かあったのかとシュテファンの方を向いて確認しています。

このシーンで描かれていたのは、“集合体”の一部が“個”へと変化した瞬間です。腕を触れ合うことで互いを認識し、多少の縁が生まれ、今まで無意識だった存在が意識へと移り変わります。シュシュの語りで言えば“名前”が分かった瞬間と言えます。

無意識が意識に変われば、視野が変わり、大袈裟に言えば世界だって変わるものです。そのように捉えると、あのバスで描かれたワンシーンは、のちに描かれる二人の“恋の予感”を示唆しているよう感じられるのです。

大雨のある日、シュテファンはテイクアウトしようと中華料理店に入り、そこでシュシュと出会います。普通なら客と店の人という関係性にとどまるはずでしたが、いつまでも降りしきる“雨”が少しだけ二人の距離を近づけました。

その後シュテファンは姉と会い、二人でシュテファンが作ったスープを飲んだ後、彼はうとうとと寝てしまい、そこで何かの暗示のような夢を見てしまいます。それは大粒な雨が緑の葉を濡らす夢です。シュテファンはその夢のことを姉に話し、それから姉に別れを告げ、家路に向かい歩き始めます。

彼は帰宅途中、壊れた柵の間から何処かへ忍び込み、何かを拾って戻って来ました。それは手のひらの中で光るもの… 結局そのもの自体を見せることはなかったのですが、それは“種”だと想像するのは容易です。

帰省する前日、シュテファンは車を引き取りに森の中を歩いていました。そこで彼は苔の調査をするシュシュと再会します。シュテファンは苔についてシュシュから色々学びます。苔にも種類があること、名前があること、それとどうやって胞子を飛ばすかまで…

森に集う様々な緑。きっと、あの森に生きる“緑”の始祖たちは、遠い昔に別の場所から胞子を飛ばされ、風に乗り、たどり着き、長い年月を掛けて“この場所”に根付いたのでしょう。それはこの二人も同じです。移民同士の二人がそれぞれの人生を辿り、偶然にもこうして“この場所”で出会えたのです。

シュテファンの手のひらで光ったものは、この二人の出会いを予見する“種”だったのではないでしょうか。二人はこの後、激しいスコールに見舞われます。これはシュテファンが見た夢と重なります。

それは少しスピチュアルじみた光景です。そしてシュシュは「覚えておいて、私の色は緑色」とシュテファンに伝えています。その不思議な現象や謎めいた言葉のことを思えば、あの手に光るものは緑の種。すなわち自分を“緑色”だと言うシュシュとの出会いを暗示した、特別な“種”だったと思うのです。

シュテファンは姉に、帰省したら戻るのは予定より遅くなりそうだと言っていましたが、今となれば、きっとそれほど長い帰省にはならないはずです。なぜなら彼はスープを届けた時のように、シュシュに会うためまた“この場所”へ、直ぐに戻ると思うのです。

互いに名前を知らず、「緑色」と「短パン」で認識し合える二人。最後の余韻がとても素晴らしい作品です。静かに流れる物語でしたが、最後に互いの“恋の予感”が感じられて少しキュンとなりました。



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本作と「ゴースト・トロピック」は以前より、ずっと待ち望んだ作品。ようやく名古屋でも公開されることになりました。

本当に観れて良かったです。余白の中にたくさんの感情が込められた作品で、共に物語が静かに進むなか、優しくて温かい風を運んでくれるようでした。

スタンダードフィルムサイズに収められた映像はとても美しく、少しスピチュアルに感じさせる音楽も素敵で、リアルに進行する物語のアクセントとなって、素晴らしい効果をもたらしていました。

あとエンドクレジットもオシャレでしたね。あれだけで監督のセンスの良さが伺えます。
ベイビー

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