すおう

地獄の黙示録 ファイナル・カットのすおうのレビュー・感想・評価

4.0
2022/08/13、新文芸坐で鑑賞。
『地獄の黙示録』としては、特別完全版に次いで2度目の鑑賞になる。
特別完全版から尺が短くなっているということで、どこがカットされたのか気になっていたが、大きく変わっていたのは、プレイメイトたちと哨戒艇一行のエピソードが削除されたことくらいか。
このエピソードは個人的に好きなので、残念だったが、なくなったからといって作品のテーマに影響するほどのことはない。
一方、特別完全版で加えられたというフランス人植民者のエピソードは残っていたため、特別完全版と比較して大きく印象が変わることはなかった。

このフランス人植民者との邂逅の場面、特別完全版の鑑賞時は不要に感じたものだ。
このエピソードのせいで、冒険譚として観るなら間延びしている。
しかし、今回の鑑賞で、この場面がラストに向けて絶対に必要なことが理解できた。

ウィラードは戦争に囚われて、一般社会に順応できなくなった男である。
家庭生活も破綻した。
この点では、優秀な軍人だったカーツも変わらない。
カーツは家族を愛しているようだが、戦争を遂行するために家族の下に帰ることのできない道を選んだのだから。
ウィラードもカーツも、アメリカ軍の欺瞞に憤りを感じ、戦争遂行に不要なものだと断じている。
カーツは〝戦争に勝つために〟最強の殺戮軍団をつくり上げようとした。
ウィラードはカーツに共感を覚えているのだが、これを第三者的に見ると、ウィラードもカーツも考えているのは戦争のことだけなのだ。
だが、ウィラードがカーツに会う前に、フランス入植者が登場する。
フランス人入植者の男は言う。
「ここは私たちの土地だ」
彼らは土地を開拓した者としての自負を持ち、その土地を守るために戦っているのだ。
この言葉は、開拓者精神を根底に持つアメリカ人には響くものがあったかもしれない。
もちろん、フランス人もアメリカ人も現地人から土地を奪ったのではあり、あくまで植民者の言い分に過ぎないが、土地を開拓したのは事実であり、そこを守りたいという感情を持つのは人として自然だろう。
男は重ねてウィラードに問う。
「アメリカはなんのために戦っているのか」
ここで、今まで戦争しか描かれていなかったストーリーの中に、突如戦争の外にあるものが浮かび上がる。
戦争というのは人間の営みの一部であり、すべてではないのだ。
夫を戦争で亡くした未亡人は、亡夫に言った言葉を語る。
「あなたは殺す者であり、愛する者でもあるのよ」
人を殺すことも、人を愛することも、人生の中では矛盾なく共存しうることが示される。
この出会いを経て、ウィラードはようやくカーツと対面するのだが、カーツが考えているのは戦争に勝つことだけだ。
戦争の外のことは見えていない。
このくだりに入ると、それまで執拗に語られていたウィラードのカーツに対する共感は聴かれなくなる。
ウィラードには戦争の外にあるものが見えてしまったのではないか。
「故郷に帰りたくない」と言っていたウィラードの心にも変化が訪れたのではないか。
そして、ウィラードはカーツを殺し、帰還の途に着く。
任務のためではなく、人して自分の歪んだ鏡像を殺したのだ。
この映画は、戦争に囚われたウィラードが戦争から解放されるまでの物語である。
もし無事に帰任できたのなら、彼は故郷に帰ろうとするのだろう。
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