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イサドラの子どもたちのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

イサドラの子どもたち(2019年製作の映画)
4.5
[ダンスを紡ぎ、人を繋ぐ] 90点

1913年4月19日。ベル・エポック期を代表する舞踊家イサドラ・ダンカンの4歳と6歳の子どもたちを乗せた車がセーヌ川に転落し、二人は帰らぬ人となってしまった。イサドラはこの事件の呪縛から抜け出すことは出来なかった。暫くして、イサドラは彼らに対するお別れの演目として『Mother』を上演した。100年が経ち、再び『Mother』を上演するその過程から、譜面と記録を"それぞれのダンス"として再構築する様を描き出す。出品されたロカルノ国際映画祭ではディレクターのリリ・インスタンから"まさに映画だ"と激賞され、同映画祭で監督賞を受賞した。マニヴェル自身もコンテンポラリー・ダンサーとして活躍していた経験があり、映画としていつかダンスに関わる作品を撮りたいと願っていたらしい。

ロメール的な日程の表示からは想像もできない、白に寄った色彩と静かな映像。あまりにも静かすぎて物悲しさを貫通して死の臭いすら感じる。それもそのはず、イサドラの著書を読み、演目を多角的に理解することで、イサドラの残した譜面を"自分のダンス"として再構築する物語だから。最初は譜面通りの動きを模倣し、自身で実際に体を動かしながら、動きに意味を見出していき、そして彼女の自伝を呼んだりカフェや公園で身の回りの人間を観察することでイサドラの感情を理解しようとする。そして、彼女の"ダンスは誰のものでもないが、各々が自分の動きを体得せねばならない"という言葉を忠実に追って、イサドラの動きを模倣しながらも自分の動きに組み替えていく。まるで、舞踊版『王国(あるいはその家について)』を観ているかのようだ。

最初のダンサーは一人でその過程を踏むことが出来たが、次に登場したダンサーは若さから教師と二人三脚でその過程を繰り返し、映画として無言で行われた行為を言葉に出して反復する。真っ白だった最初のダンサーのスタジオは、真っ黒なスタジオに舞台を移すことで、うら若き後者の先の見えない不安を代弁する。翻って二人とも屋外のパートは非常に明るく、また11月という寒い季節なため、スタジオを屋外で衣装のメリハリがあるのも面白い。

上演はまるでなかったかのように素通りされ、観客の一人だった黒人の老婆が独りで夕食を食べ、独りで自宅に変えるシーンがそれに続く。彼女は遠い昔、イサドラと同じく息子を失ったのだ。ダンサーたちが再構築したイサドラの別れの決意が、彼女の紡いだ物語が観客に伝搬したのだ。繰り返される裸足の描写は、それがイサドラとダンサーを結び、観客までを結ぶ象徴だから。そして、老婆は窓の外を見上げ、画面から外れる。彼女の別れもまた、終わることはないから。

『王国(あるいはその家について)』の上位互換になっている気がしたので、今年のベストも入れ替わってしまった。ただ、上の9本が中々の強さを持ってるので、後1本を残り二ヶ月半で出し入れするという感じになるのか。一応『お嬢ちゃん』のためにも開けとくか…
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