あおは

花束みたいな恋をしたのあおはのネタバレレビュー・内容・結末

花束みたいな恋をした(2021年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

自宅で鑑賞してから1週間以上が経過しているため、記憶が少し曖昧になってしまった。

初めに思ったのは人物の描き方がとても好みだった。このお話から窺える人の見方がとても好きなのだと思う。
映画マニアだと豪語したあとで、好きな映画はショーシャンクと言うところは何となくこういう人いそうだなとクスッと笑えたし、絹ちゃんが嫌なことがあったときに2014年のワールドカップでドイツに大敗したときのブラジル国民よりはマシと考えるようにしているところも妙に具体的でおもしろかった。

好きなものや趣味など名前のあるはっきりしたものだけではなく、電車に乗ることを電車に揺られると表現することなど、名前がつけられない感覚的なところまで2人の共通言語がしっかり描かれており、またきっかけは押井守だったなど、妙に詳しくも映されていて、それがあったから2人の関係性を掴みやすかったし没入できた。

前半の幸せそうな2人を見ていると、2人で好きなバイトをして2人で好きなことを楽しみ、安い同じ家で呑気に過ごす暮らしを維持するという生活とかでいいなと思った。

しかし現状維持のために麦くんが社会に出てから2人の関係が揺れ始める。やはりお金という問題は暮らしていくためにはシビアで、それが人を変えてしまうこともある。
麦くんは社会に出てからは違う人間になってしまった。それは映画や小説に触れても何も感じられない人間。
出会ったときの大好きだった麦くんから変わってしまい2人で共有できなくなっていく。
お互いの気持ちが分かる。社会で働くことに責任を見出した麦くんも、好きなことに真っ直ぐでいたいしそれを2人で共有したい絹ちゃんも。
初めは一緒に〜してほしいとかではなく、2人でーしようというスタンスで楽しめたのに、だんだんと〜することに付き合ってもらうような感覚になっていき、分かり合えなくなっていく。一緒に〜したいのに生活習慣が合わなかったり疲れてるだろうなと心配したり、相手に気を遣うようになり、逆に我慢させていることを悪く思い気を遣うようになり、すれ違っていく。感情が合わなくなっていき、感情が湧かなくなり、最終的には喧嘩にもならなくなり、どうでもよくなる。
愛というのは本当に同じ方向を2人で向くことなのだろうなと思った。

恋愛生存率。
はじまりはいつも終わりのはじまり。どれだけ幸せな恋愛だとしても、はじまれば終わりに向かって進んで行く。
だから2人は終電で出会った。

はじめのイヤホンを指摘するシーンは2人が別れたあとのことだと分かり、最後に2人がお互いの背中ごしに手を挙げるところは、切なさなのか見えない2人の繋がりを感じたからなのか、自然と涙が出た。
似ているようで似ていない。でも同じ匂いがする2人。

共感できるかと言われたら、同棲や5年以上の付き合いを経験したことがないから、NOだったけれど、細かくこの映画独自として人間を描写しているところがとても好印象だった。
あおは

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