先日、コンビニでがっつり女装したおじいさんを見た。白髪頭ではではでのコスプレみたいな鮮やかな服。どういう境遇で、なんの理由があってそうなったのかは分からない。けれど、何かこれはこれで格好良いと思った。
単純な母性愛みたいなものかと思っていたが、やはり色々な要素が絡み合ってるんだろうなぁと思いながら海辺のシーンを見た。
友達の両親の今日学校どうだった?という言葉。ルーティーンのように思えるが返答を待つのではなく表情を見ている。あぁこういうところもちゃんと考えて演技するんだなぁと思った。返事ではなく表情。
バレーの先生の育てたい、授業料は要らないなんて言葉も印象的だった。「セッション」のフレッチャー先生みたいになるのかと思ったがそうはならなくて安心……。
それにしても、ジェンダーについて色々な立場から描いていた。外国人のおじいさんの違和感のない「お姫様達」。就職の面接での面接官。一果の両親。学校の先生。ダンスの先生がうっかりお母さんと言ったシーンは、数少ないほっこりシーンだった。
LGBTということで要らん気を使う時点で遅れているのかも知れんなぁと思う。
友達の家庭と友達の末路との対比も、衝撃的だったが、何かこうなる気がしていた。
ボーイズラブとか若い人の同性愛を何とか美しく描いているものも多い。けれど、もうボーイじゃない現実の中でたくましく生きている人もいるんだろうなぁと思った。
そういえば感情的になったときも男にならないんだなぁと思った。
LGBTSは研修を受けてどうこうなるものではないなぁ。自分の身近にそのような人がいて、接して心を通わせないときっと絶対に分からんのだろう。