ShiroKyogoku

三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実のShiroKyogokuのレビュー・感想・評価

4.7
公開初日が同じハーレイクインと迷った挙句、先ずはこっちを観た笑

めちゃくちゃコレは面白かった‼︎
けど、ガチガチの政治思想、いや、それどころか更に深いとこまで突き進み、存在、時間、言語、認識、自然といった哲学の領域にも踏み込んだ三島と全共闘の討論だから、完全に好みが分かれると思う。というより、よっぽどこっち方面の話が好きじゃないと正直、余りオススメはできない作品。
案の定レビュー数が少なすぎてウケる笑

三島由紀夫の著作は「金閣寺」や「憂国」ぐらいしか読んだことがなく、ムキムキガタイの右寄り作家で、楯の会作って、最後のサムライの切腹を実現した人、って認識程度のものだったけれど、こんなにユーモアに溢れ、温和で寛容で他者を大切にし、魅力的な話をする人だとは知らなかった。著作での力強さからのイメージと違いすぎて驚いた。

そして討論は見ていてめっちゃ興奮した!
特に芥正彦という人との、サルトルの「存在と無」や「嘔吐」、プラトンの「国家」、ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」、ホッブズ「リヴァイアサン」等を背景にしたような「本質を探る」といった哲学的な会話の建築作業は、とても興味深いものだった。
今から50年前には、本気で1000人もの学生が集まり、こういった思想や理念をぶつけ合い熱く語り合っていたかと思うと、生まれてくる時代を間違えたなぁとさえ思ったりする…笑

三島の言う天皇という言葉の持つ意味、時間の持続性の必要性、世界の外縁との接点とその内にあるオリジナルな世界のありようとの共生、言語の目的性、あるいは非目的性の収斂、更にその言語の手前にある事物、事象を目的論的に分析した上での革命の論理、アイデンティティの置き所の有無、そのような様々な本質的テーマを語り合い尽くした上での、共通点、相違点。
そこにあった「猥雑な国家」という共通の敵…一方で「天皇」という一般の意味としても、三島の唱える国民の全権を集約した象徴として顕す意味としても相容れない要素。

単に相手の思想の論破を目的とするわけでなく、相互を理解し、相違点を丁寧に探し真摯に見つめていく過程は、残念ながら昨今の議論と呼ぶようなものの中には内包しない。
単なる同調圧力の正義がまかり通るわけでもなく、相手への敬意は忘れない。いつからこの国は、答えだけに執着し、寛容さを失ってしまったんだろ。
決して答えは出せなくても、相反する意見でも、前提にあるお互いを理解し合うという議論をできなくなったのだろう…

本当は多くの人に見てもらって、単に答えの正しさを論じて纏めるとこを目的とせず、意見の違う他者との「物事の本質を探る過程」の楽しさを共有できれば、なんて心から思うけれど、世の中みんな忙しいしそんな事に時間を割くことはムダなことでしかないのかなぁ…
世の中、答えの出ない物事の方がよっぽど多いような気がするけど。

途中にあった、三島を含む戦中に10代を過ごした人々の、国家と個人の完全なる一致の概念が完全に崩された事への心情の解説には涙が出てしまった😢
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