ぐるぐるシュルツ

三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実のぐるぐるシュルツのレビュー・感想・評価

3.9
彼は僕の隣に誰がいるか聞いてきた。
妻だと答えた。
それから電話を代わるように言われたので、その通りにした。五分ほど妻と彼は会話していた。
その時何を話したのかを、
50年経って、ようやく妻は教えてくれた。

〜〜〜

本筋とは少し逸れたその場面で、
極め付けに三島由紀夫の人間性に惹かれてしまった。

妻が本心をまっすぐ打ち明けるなら、
きっとその『場』にいる旦那は素直な気持ちで、誘いを断ったのに違いないだろう。
それだけで、全共闘と三島の関係が、討論会を通してリスペクトし合える正直なものに変わったことが分かる。
言葉・言霊の力でもあるだろうけど、ただただ人間の力だと思う。

〜〜〜

平野啓一郎さんは『分人』で凄く親しみを覚えていたから、解説もすっと入ってくる。
最後に「思想とか右派左派とかは割りにどうでもよくて、何かを変えようと言葉を交わしたその姿勢それだけでも学ぶことが多い」というようなことを平野さんは言っていて、正にそうだと思った。
50年で、良くも悪くも世界はまたまた変わってしまい、それが人間や社会や日本国の退廃って言われちまったら、まだ若造の自分としては何にも返せないのだけれど、でもそのおかげで政治的・思想的な凝り固まりがなく鑑賞できた。

言葉の有効性を信じたい、
行動の無効性を超えたい。

東大生による討論会といっても、即興で頭でっかちな若者が喋り立てるだけ。言いたいことはわかるが言い方が粗末だったり、ところどころ支離滅裂だし、詭弁的・反射的な発言も多い。でも、流石の三島由紀夫は、それを咎めようとも嘲けようともせず、しっかり聞いて、しっかり素直な言葉で応える。

〜〜〜

思想より行動。自分との決闘=自決。
事物との関係づけを逆転させろ。
脱エロティシズムの中の他者性、そして決闘。
歴史にやられたい。

これらの言葉を、過激にならず、ぬるま湯にならずに受け止めたい。
その姿勢から学びたい。