このレビューはネタバレを含みます
お話としてはめちゃくちゃ単純な因果応報。
見世物小屋で働く男女が都会に駆け落ちし
荒稼ぎするも
あくどい商売に手を出して破局し
女は消え男は見世物小屋の「見世物」となる。
おとぎ話にありそうなくらい単純。
ただ、画面の情報量がえげつなく、
初めはちょっと目が回るほどだった。
世界観の深さや重さは前評判通り。
ただ、日本には天下の寺山修司さまがおり、
アニメーションでは少女椿もあるわけで、
胎児といえばドグラ・マグラもある。
グレイテストショーマンを最近見た世界に対して
よりグレードアップした見世物小屋を見せた以外に
実績はないように思う。
醜悪なものを見たいという人間心理は現代においても健在で
それを改めてスクリーンに焼いて多層構造として見せたところで
そんなに新しい発見でもない。
個人的に、作家の作家としての文脈を
映画に前提として読ませることはあまり好きではないため、
映画.comで評されていたように
「人間こそが真のモンスターなのではないか」という発表など、
そりゃあそうでしょう、という価値観に思える。
素敵に仕上がっているけど、
本当の文脈として言いたいことはなんなのか。
帰り道小雨に打たれながら考えた結論は、「女の描かれ方」だった。
女は蛇か小鳥しかおらず、男はすべからく弱く卑しく、女は果てしなく強い、というのがこの映画を通しての主張なのではないか。
ポスターに描かれる3人が、とにかく強い。
ジーナは老いぼれた夫から若いつばめの生き血をすすり、殺人まで示唆し、まんまと殺させ、自由を手に入れる。
最後のチラシの中身はよく見えなかったが、新聞広告を出せるほど売れっ子の占い師になったということだろう。
モリーはか弱く守ってあげたい小鳥として描かれるが、ラストの車のシーンでは電流に素で耐えていたという衝撃の告白をし、数多の女を痛めつけていたというサイコなエズラを前に無傷で生還し、スタンに全ての汚れ仕事を押し付け軽やかに舞台から消える。さいつよ。
リリスも然り。スタンの才能を見抜き利用したあげく、売上をまきあげ「被害者」としてまんまと警察の手を逃れる。メモすら残すなと言いつけたのも、初めから自分の関与した痕跡を残さず利用して切り捨てるつもりだったのだろう。体の生々しい傷跡も、スタンはいとおしむように口付けしたが、どう考えても普通のドクター以上のやばい橋を渡り続けていることの証である。スタンは果たして何人目のカモだったのか。
無理心中したキンボール夫妻も、
殺したのは奥さんである。
我が子を殺した夫を、カウンセリングでなんと言われようと許せなかった鬼である。
夫はきっと前を向いて生きていけるとほっとしていただろうし、
金を払ったのも夫であろう。
ポスターにて、1番上にスタンがおり、その下に3人の女性が配置されているが、
本来は逆であり
スタンという小さなネズミを取り囲む
蛇と小鳥の妖怪のお話である。
そも、話の背骨になっている「獣人」は
哀れな哀れなヤク漬けの男である。
これが女であれば現代では大批判なのではないか。
女が対象になることは有り得ないような調達方法であるし
見世物小屋にくる客ですら女性が目立った。
女は見世物小屋の中でも割と丁重に扱われ、
汚れ仕事は全て男の仕事であった。
この描き方は異常とも見えた。
また、スタンは自分より年寄りの男を執拗に殺す。
冒頭で父親を、カーニバルでピートを、都会でエズラを。
このお話では
女>男
であり
若い>老い
という絶対的な強弱関係が成り立っていて
不可逆な存在は許されないようだ。
これは監督の価値観そのものなのかもしれない。
男は常に暴力的で不器用で、女は常に知能的でしたたかだ。
人間とはそういう「モンスター」である、という主張なのだろうか。
色んな人のレビューをみて思考を深めたいと思った。
ところで、最近この手の「女最強!」映画多くね?たまたま?
男の子もがんばえ(ง •̀_•́)ง