KnightsofOdessa

ビバリウムのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

ビバリウム(2019年製作の映画)
2.0
[規格化されたステレオタイプへの薄い反抗] 40点

ジェマとトムのカップルは家を買おうと不動産会社を訪れ、奇妙な販売員にヨンダー(Yonder)と呼ばれる郊外の家へと案内される。そして彼らは全く同じ色/形の一軒家が所狭しと立ち並び、絵に書いたような形の雲が空に浮かぶという不気味な"郊外"から逃れることができなくなり、仕方なくそこで暮らすことにする。『"アイデンティティ"』や『恋のデジャ・ブ』を"ステレオタイプ"の寓話へと投げ飛ばしたような作品で、気味悪いほど単純化され規格化された人間生活が並べられる。テレビを付けると毒々しい斑点しか流れない、毎日味のしないチルド食品を食べさせられる、親を規範として子供は見て真似し続ける、よく分からない本を拾ってくるなど、日常生活のあるある批判をこれでもかと盛り込んでいる。

勝手に授けられた"望まぬ"子供を育てることについて、ジェマはノイローゼになりながらそれを仕方なく受け入れ、トムはそれを無視/拒絶して仕事(穴を掘り続ける)に熱中することであらゆる責任を放棄する。そして、トムはそのまま目的の見えない仕事を続けたせいで、果てには心労が祟って過労死する。こういった露骨な直喩を羅列していき、良い意味で不気味だが反面あまり品のない作品が出来上がった。後に現れる"別次元"のカップルたちや、今後も"少年"によって捕獲されていくであろうカップルたちも、古い時代の規範や慣習に絡め取られ、それらに束縛された人生を送り続けるということなんだろうが、こうも露骨な嫌がらせをした終着点までステレオタイプにするのは、皮肉としては笑えるがシンプルにヌルいし下らない。そもそも、"状態"にしか意味を与えないせいで、外見だけ取り繕ったハリボテという感じが否めず、映画である必要性をあまり感じない。

この監督は『Foxes』という以前の短編でも規格化されたサバーバン地域で暮らす夫婦の悪夢を描いていた。強い恨みでもあるんだろう。
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