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最後にして最初の人類のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

最後にして最初の人類(2020年製作の映画)
3.0
[辛抱強く聴いてくれ、あなたたちの助けが必要だ] 60点

ヨハン・ヨハンソン最初で最後の長編作品。下敷きになっているのは、人類が死に絶えて以降の地球(或いは太陽系)の20億年に渡る進化と滅亡の歴史を綴ったオラフ・ステープルドンの初長編小説『最後にして最初の人類』。亡くなる直前まで映画化の作業をしていたのを、サウンドアーティストのヤイール・エラザール・グロットマンが引き継いで完成させた本作品の根幹は、"最後の人類"として20億年越しに語り掛けるティルダ・スウィントンの荘厳な囁きと、ヨハンソンの遺した音楽によって我々を未来世紀へと誘うことにある。"最後の人類"を自称するスウィントンは、過去にいる我々人類の未来を知りながら、己の現状を子供にでも話すかのように淡々と語り掛ける。

未来世紀の地球の映像はCGなどの陳腐な表現は使っておらず、16mmフィルムで撮影されたモノクロのモニュメントを延々と映しているだけだ。これはティトー時代にユーゴスラビアの各地に建てられたコンクリートの無機質なモニュメントであり、最近だと『The Load』にも登場していた。社会主義時代に建てられたこれら"理想郷"を称えるモニュメントの数々は、その夢が破れてから打ち捨てられたものだ。現存する建物に未来的な視点を見出して、訪れるだろう未来との連続性を明示するのはゴダールの『アルファヴィル』とも似ている。加えて、その建物そのものが"夢の残骸"なので、宇宙の時間尺に比べて一瞬とも言える人類の興亡の残骸を巡っていると考えると、二重に興味深い。廃墟好きなので実にありがたいチョイスだが、実はそんなに廃墟感はない。

Rainer Kohlbergerの『It Has to Be Lived Once and Dreamed Twice』という短編実験映画は、人類滅亡後に残された機械生命体が自然や創造主についてコーディングしていき、その過程で自我を得ていく様をブラウン管テレビの砂嵐のような映像とノイズ音などを交えて語っていく不気味な映画だった。本作品は静謐な映像と荘厳な音楽という全く正反対な表現手法を使っているものの、時たま現れる緑色の光の玉はスウィントンの声に併せて伸縮するため、もしかすると"最後の人類"と自称するスウィントンたちは人間には知覚できない生命体なのかもしれない。そう考えてみると、二つの作品は意外と近いものなのかも知れない。

ただ、私が勝手に"世界滅亡系実験映画"と呼んでいるその他の作品にはそれぞれ強烈な瞬間が訪れたのだが、本作品には荘厳な音楽や語りによる気品はあっても、起伏に乏しく単調であるのは否めない。マルチメディア・パフォーマンスの一部分らしいのでどういう展開を経て映画に辿り着き、またここからどう発展していく(はずだった)のかはよく分からないが、本作品を単品で観る限りMVと考えたほうがいいのかもしれない。
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