-2021年の神曲(La Divina Commedia)-
怪獣映画とホラー映画は代数と同じ。結果よりも過程が重要。
この映画は分類上コメディだけど、オチよりも過程がホラー。
ローランド・エメリッヒ監督は「終末映画のマエストロ」と呼ばれるけど、彼の描く終末世界は喜劇的。シェイクスピアの言う通り「悲劇は俯瞰すれば喜劇」。
この作品は「悲劇を俯瞰して喜劇として見ている自分が悲劇的に見える」というメタい構造を持っている。
いろんなアイロニーを含んだ作品だったけど、自分が一番痛感したのは「人間はなにかを信じているから人間」という皮肉。
「我思う故に我あり」ではなく「我信ずる故に我あり」
それはデマ情報に踊らされる庶民から科学者から巨大テック企業のCEOから、そして大統領まで変わらない。
ヒトはなにかを信ずるが故に、無意識に現状を維持しようとする。
世界はエントロピー増大の法則故に、無常に混乱に向かっていく。
この関係は、釈迦の思想と大乗仏教の違いのようだ。
全てを捨てて瞑想すれば世界が分かると諭した釈迦。
しかし、日々の生活で手一杯の一般人にはそんな余裕はなく、「時間ないなら信じるだけで効率的に救われますよ」と大乗仏教が生まれてきた。「そもそも我々が分かる世界なんて絵空事(空)なんですよ。世界って人間の理解を調節したものなんですよ」というこの教えは、疲弊した21世紀の我々にも共感出来る部分がある。
なにかを必ず信じている我々は、そのバイアスに気付くのがとても難しい。
特に信じていたものが急速に崩れていく時代では、我々の目は都合の悪い事実に目をつむり、考えるのを止めてすがりつこうとする。
ただ、同時に崩れていく今だからこそ、我々の目に映っているものはある。
目に映っているものを理解し行動に結びつける事が出来たなら、少しは変わる事が出来るのかもしれない。
ダンテが神曲を書いた時、物語が地獄から煉獄を経て天国で終幕する事から「神の喜劇 :Commedia」と名付けた。
この映画は喜劇ではあるが、神曲とは逆の流れとなった。
我々が綴る叙事詩の結末はどうなるだろう?