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TAR/ターのkigumaのレビュー・感想・評価

TAR/ター(2022年製作の映画)
5.0
“知性とは雑音を知る力”
劇中、ショーペンハウアーの言葉として引用されたこの言葉。検索してみると
<優れた精神は騒音を嫌う>
と翻訳されていた。

“偉大な精神が卓越しているのは、持てる全ての力をただひとつの点、ただひとつの対象に集中するからだ。騒音はまさにその集中を阻害するため、彼等彼女らは騒音を嫌う”

ケイト・ブランシェットの怪演が際立つが、この映画の主役は「音そのもの」だと思った。水音、衣擦れの音、遠くの雑踏、それら雑音が変質的なまでにクリアな音質で拾われている。
それと対照的に「音楽」として昇華された音たちの圧倒的な密度感と高揚感。

人間が音に秩序を与えて生み出した音楽には「雑音」がない。ひとつの物語を語るために全ての音が整理され削られている。

ミケランジェロは彫刻という行為を「大理石の中にいる天使を出してあげるだけ」と例えた。音楽も雑音を整えてタペストリのように編み上げる行為なのかもしれない。

しかし、我々人間という存在は整えられた音楽よりも雑音に近い。プラトンは人間の魂は「理性(整える)」「意志(高める)」「欲望(生理的衝動)」の3要素で作られると考えたそうだ。

欲望に流れればひとは動物と同じになり、意思が強すぎれば命を維持出来ず死ぬ。そのバランスを取るのが理性。

そうであれば、ひとはひとという存在のまま、芸術のような純粋性は得られない。しかし、不思議な事にひとは芸術にはなれないが芸術を生み出すことが出来る。それは、理性が力を失い、本来欲望に向けるべき熱量を全て「意志」に全振りするからだろう。

ひとは芸術に汚い本能が介在するとこを嫌う。純粋で至高の存在であって欲しいと思う。「アイドルはトイレに行かない」的な。

生み出した作品は赤子のように無垢で美しい。しかし生み出した芸術家は「なにかを失っている」

それは「醜さ」だろうか?

見えている的を正確に射抜くのは「職人」
見えない的を射抜くのが「芸術家」
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