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ゴジラ-1.0のkigumaのレビュー・感想・評価

ゴジラ-1.0(2023年製作の映画)
4.0
- 最適解

70年前の初代ゴジラがカイジュウ映画のフォーマットをすべて確立してしまった。

子供の時には純粋にvsシリーズを喜んでいたが、思春期に入ると初代ゴジラの伝説をいろいろ耳にするようになり興味が沸いてきた。(押井守監督がその元凶)

レンタルビデオ店で借りてきた初代ゴジラは、確かに魅力的であったけど、なにせ当時のビデオの映像と音声の解像度では、その感動は限定的なものであった。

そのイメージをすべて覆したのが「4Kレストア版ゴジラ」。クリアな映像、明瞭な音声。映画館のシートで時間を忘れて見入っていた。人々にまだ戦争の記録が色濃く残る1954年。

「せっかく戦争が終わったのにまた疎開だなんて」

「お父様のところに皆で行くのよ」

等の台詞の生々しさ。カイジュウ映画ではあるが、当時の世相を伝える記録映画としても一流だった。

初代ゴジラはカイジュウ映画の始祖ではあるけど、様々な仕掛けは大人を意識して作られていた。

「超えられない初代への閉塞感」

おそらく昭和生まれのゴジラファンに共通する感覚ではないだろうか?

神話の時代はすでに終わり、クリエイターは大人の事情の範囲内で創造性をトッピングするしかない時代。

本作「ゴジラ-1.0」は、そんな閉塞感を抱いていたゴジラオタク達の濃い妄想の煮こごりを実体化した映画だった。ゴジラというプラットフォームの中で、オタクの「見たい」をすべて詰め込んだ最適解。

ゴジラはあくまでも脇役で、人間と街、道具が主人公。プロットも完璧、演技も完璧、台詞も音楽も「痒いところに手が届く」。素直に感動するし、素直に燃える。。

しかし、映像の強烈さに比べ、ストーリーは「オタクの妄想を具現化した」ものである以上、想像の範囲内に留まってしまった。映像はシン・ゴジラを圧倒する緻密さ、色の美しさがある。しかし、シン・ゴジラを見た時の高揚感は残念ながら最後まで得られなかった。

本作は初代ゴジラへの敬意以上に、シン・ゴジラという作品へのリスペクトに溢れている。

シン・ゴジラが改めて削り出したゴジラのエッセンス「兵器ではなく知恵」「繁栄の暗部」「抑える事しか出来ない」を見事に引き継いでいる。

「シン・ゴジラ」は表面的にはオタク受けする仕掛けをばらばきながら、本質的な部分ではエンタメ作品に徹していた。

人間の心理、背景をすべて削った事で「巻き込まれ感」「民衆の知恵と勇気」を浮き彫りにした。

オタクである自分が見たいと思っていたゴジラ像はそこにはなかったが、間違いなくゴジラであり、そしてどんな人にも伝わる作品だった。

本作はシン・ゴジラよりも特定の登場人物の心理に重きをおいて「個から見た戦争、個から見た自然」に重きをおいている。この点は次世代に戦争という時代を伝えるテキストとして素晴らしい。「この世界の片隅に」や「はだしのゲン」のような作品だ。(人物描写が綺麗ごとではない点も含め)

ただ、この人間模様を描き切るには、映画という媒体は尺が短く感じる。ドラマシリーズだとまた違った印象になるんだろう。

本当に素晴らしいし、この作品が作られたことに感謝しかない。

しかし、「シン・ゴジラ」が達成した「ゴジラというブランドのリブート」がどれだけの偉業なのかを再認識した作品だった。

これからも様々な監督がゴジラに挑戦してほしい。

「革新的なゴジラ」「長年夢見たゴジラ」はすでに登場した。

もっと多様な世界が待っているはず。

人間の英知と欲望と罪と、そして伊福部昭の音楽ある限り、ゴジラの可能性は無限だ。
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