ぼくみん

ミッドサマー ディレクターズカット版のぼくみんのネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

ミッドサマー。一度観たんですが、観てみたいという友人に付き合って今回はディレクターズカット版で鑑賞。

初回に観たときは胸糞映画だと批評しましたが、今回は純粋に映画を楽しむことができました。
その理由となるポイント3つを後述しますが、二度目の鑑賞で見てまず思ったのが「ペレは悪い奴だな〜」ということ。
「僕の故郷の祭りにみんなを招待したいんだ」と素敵スマイルを振りまいていましたが、その実、誘いに乗った時点で目の前の友人たちがどうなるか分かっていたんですから。

あらすじを分かった状態で鑑賞したことで、この映画のポイントと思われることがなんとなく分かりました。
それは、露見していない恐怖・ドラッグ的世界観・ミラーリングによる共感の3つのポイントです。

●露見していない恐怖。
どなたかのネット批評で拝見してなるほどと思ったことですが、この映画は崖のシーンを境に露見していない恐怖と露見した恐怖に分かれます。
確実に何かが起こる雰囲気を画面から音楽から醸し続けているけど、何が起こるか分からない。だから観る者は想像力をどんどん膨らませることで自ら恐怖の穴に落ちていく。それが、露見していない恐怖。
ド頭からカットインで入る電話の音から始まり、ダニーの両親と妹の亡くなっているシーンの軋むような弦楽器の音楽、到着した村の入り口でドラッグが決まって笑い続ける村人たち、などなどと序盤は露見していない恐怖に包まれています。
それが老人の飛び降りを機に、人の死を見せていく、露見した恐怖に変わっていくんですね。

●ドラッグ的な世界観。
ヘルシングランド到着後すぐにドラッグを決めるシーンが描かれていました。
その時にダニーの手から草が生えたり、「樹々が呼吸している」と言うと、血液のように樹皮が流れ始めたりと幻想的なシーンが序盤からありました。
そして女王が決まった辺りから、背景の森、頭の花飾りや地面に撒かれた花、テーブルの食事など色んなものが流動的に動き出し、まさにドラッグが決まった時のような世界の見え方を我々に見せていました。

●ミラーリングによる共感
これがこの映画の1番のポイントだと思います。

ヘルシングランドの共同体は、共感することによって集団としての結束を強めているように感じました。
特にミラーリング(言動や仕草を真似ることで相手に親近感や好意を抱かせる心理テクニック)を使った共感がたくさん見られました。

・崖から男性老人が飛び降りるも死に切れずに苦しむ間、見つめる村人たちまで悶えるシーン
・クリスチャンと赤毛の女の子の××の時に周りを取り囲む女性たちが奇声をあげ続けるシーン
・クリスチャンと赤毛の女の子の××を目撃したダニーがショックで慟哭しているときに付き添った女性たちまで慟哭するシーン
・ラストの燃え盛る火を見つめながらみんなが悶え苦しむシーン

喜びも共感する仕草を見せていましたが、特に痛みや絶望など負の感情に対して強い共感を示し合うことで共同体としての一体感を強めている、そしてその雰囲気が外部の人間からするとより強いオカルトに感じるうまい演出だと思いました。

観終わって、ひとつだけ釈然としないことがあります。ダニーの最後の笑顔の理由です。

これまでの苦しみの全てから解放された清々しさ。
拠り所を全部無くしたダニーが女王として共同体に属することで、新たなスタートを切ることができる喜び。
彼氏への復讐完了というしたり顔。
残された唯一の外界とのつながりであった彼氏が居なくなったことで狂ってしまった狂気の沙汰。

ひとつの感情で生まれたものではないでしょうが、その玉虫色の笑顔がダニーの内面を読み解けず、うまい演技だと思うと同時にこの映画のベストシーンだと勝手に思っています。
ぼくみん

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