サマセット7

劇場版 アーヤと魔女のサマセット7のレビュー・感想・評価

劇場版 アーヤと魔女(2020年製作の映画)
3.0
スタジオジブリ製作の22番目の劇場用アニメーション。同スタジオ史上初の3DCGアニメーション作品。
監督は「ゲド戦記」「コクリコ坂から」の宮崎吾朗。
主演声優は、「貞子3D2」の平澤宏々路。
原作はダイアナ・ウィン・ジョーンズの児童向け小説「アーヤと魔女」。

[あらすじ]
1990年代イギリス。孤児院で育った10歳の少女アーヤ・ツール(平澤)は、周囲の大人たちを思い通りに「操る」特技を駆使して、自由気ままな生活を送っていた。
しかし、ある日魔女ベラ・ヤーガ(寺島しのぶ)と怪人マンドレーク(豊川悦司)の二人組に、「下働き要員」として魔女の屋敷に引き取られたことで、生活は一変!!!
過酷な労働環境に嫌気がさしたアーヤは、屋敷で暮らす使い魔の黒猫トーマス(濱田岳)と力を合わせて、ベラ・ヤーガへの「反乱」を計画するが…!!

[情報]
スタジオジブリ製作初の3DCGアニメーション作品。
製作にNHKが加わっており、そのためか劇場公開に先立って、2020年12月30日にテレビ放送されている。
劇場公開は2021年8月27日。

コロナの影響をモロに受けており、公開延期の末、前述の変則的な公開順となっている。

監督の宮崎吾朗は、スタジオジブリの象徴である監督・宮崎駿の長男として知られる。
劇場用の長編アニメーション監督は、3作目。
1作目の「ゲド戦記」の評判が良くなかったため、ジブリファンへの印象は悪いが、2作目の「コクリコ坂から」は宮崎駿の脚本もあって、まずまず高い評価を得ていた。日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞受賞。
また、テレビアニメ「山賊の娘ローニャ」の監督も務めており、こちらは国際エミー賞子供アニメーション部門最優秀賞を受賞。
アニメーション監督として、立派な経歴だと言えるだろう。
彼の不幸は、常に偉大すぎる父親と比較され続ける宿命にある。

今作の原作「アーヤと魔女」(原題Earwig and the witch)は、著名なイギリスのファンタジー小説家ダイアナ・ウィン・ジョーンズの小説。
彼女は「ハウルの動く城」の原作者として知られる。
2011年に亡くなっており、原作小説の「アーヤと魔女」は、シリーズものが構想されていたと思われるが、1巻で絶筆となってしまった。
今作は、原作1巻のストーリーを元にしている。

今作は、コロナの影響や先行テレビ放映の影響で
、ジブリ史上でも最低クラスの興収(3億円)にとどまった。
作品の評価は、全般的に低いものとなっている。

[見どころ]
うまく活かせば面白そうな、原作由来のアイデアがいくつも見られる!
マンドレークとデーモンたち!
魔女ベラ・ヤーガの、結構地道な「魔女のクスリ」の製造工程!
使い魔の黒猫トーマスの助言!!
不思議な構造の魔女のお屋敷!!!
アーヤの他者を「操る」能力は、持って生まれた魔法なのか、それとも、彼女の処世術のなせる技なのか!!???
そして、彼女の母親の過去、12人の魔女とは!!!???

…なお、これらの煌めくアイデア群が、作中で上手く活かされるとは限らない…。

[感想]
なるほど、評判どおり。
スタジオジブリの先行きが心配になる。

原作由来と思われる、一つ一つの魔法のディテールは面白く、楽しんで観た。
魔法を描いたファンタジーの最大の魅力は、魔法世界のディテールにある、と考えると、今作もいい線いっているかもしれない。

アーヤのキャラクターが気に入らない向きもあるかも知れないが、私個人としては、気にならなかった。
こういう、外向的で、前向きなタイプの主人公も、悪くないと思う。
彼女の、人を褒め、好意を伝え、Win-Winを目指す人心掌握術は、年齢不相応ではあるものの、社会人スキルとしては、正攻法であろう。

また、3DCGアニメーションについては、それなりに健闘していると思う。
しかし、流石に、ピクサー、ディズニー、ドリームワークス、イルミネーションなどなど、百戦錬磨のアメリカ勢と勝負になる域に、一作で持っていくのは、スタジオジブリと言えども不可能だろう。
心意気は買うが、日本は日本の良さで勝負した方がいいのではなかろうか。

脚本面では、アーヤという少女の成長が描かれていない点が気になった。
アーヤはかなりクセのある性格の少女である。
感情移入が難しい観客も多かったであろう。
であれば、なんらかの意識の変容や、成長を物語に組み込み、その成長と物語のクライマックスをリンクさせることで、カタルシスを生む、というのが、この手の物語の王道であろう。
しかし、今作で、アーヤに特段の成長や意識の変化は見られない。
そのため、単にイタズラ合戦でアーヤが一本とっただけにしか見えず、クライマックスの盛り上がりに欠け、カタルシスを感じなかった。

もちろん、成長しない主人公、という路線も、全然アリだし、そういう面白い作品もたくさん存在する。
しかし、王道は効果的だからこそ、王道なのだ。
今作であえて、王道を外す意味を、私は感じられなかった。

さらに、今作で大量にばら撒かれる伏線は、ほとんどが回収されない。
そして、「あの」ラスト。
悪い意味で、唖然とした。

今作の問題は、原作小説が、原作者が亡くなったため、未完に終わってしまった1作目である、という点に多くを負っているのかもしれない。
原作は、シリーズ化を想定しており、そのため、主人公を過度に成長させなかった、のかもしれない。その後のシリーズで成長を描く予定だったのかも。
撒かれた伏線も、後のシリーズで回収する予定だったのだろう。
ラストシーンも、続編への「クリフハンガー」であることは、明白だ。

しかし!!!
原作者は続きを書くことなく、亡くなってしまったのだ!!!
主人公の成長も!物語の伏線も!ラストシーンの吊り状態も!!続きで描かれることは、未来永劫なくなった!!!
であれば、一本の映画として公開する以上、完成した物語として脚色するのは、製作者の責任というものなのではないか??
ひょっとすると、「ゲド戦記」で原作者の失望を買った宮崎吾朗は、今度は反動で、原作リスペクトをし過ぎてしまったのだろうか?

全体として、一本の作品として、未完成の作品を見させられた、という印象すら感じてしまう。
これは、ちょっとまずいぞ!
大丈夫なのか、スタジオジブリ!?

[テーマ考]
今作のテーマは、どんな環境でも、へこたれずに頑張れば、状況は好転する!!であろう。
宮崎駿のインタビューか何かで、そういった趣旨の発言があったように記憶している。
アーヤは、まさしく、へこたれない主人公である。
とはいえ、働き方改革の叫ばれる現代では、このテーマ自体、やや古いのでは、という気がしなくもない。

宮崎駿と宮崎吾朗の父子関係を念頭に置くと、深読みを誘う。
例えば、魔法のやり方を知りたがるアーヤと、ひたすら下働きを命じてこき使うばかりのベラ・ヤーガの関係は、下積み時代の宮崎吾朗と宮崎駿の関係そのものだったのではないか。
そんな吾朗にとって、何より大切だったのは、「へこたれないこと」だったのではないか。

そのように考えると、今作で描かれる、アーヤが基本的に成長せず、「周囲の環境が考えを改める」ことで、状況が好転する、という構造は、何だか、宮崎吾朗監督の願望めいてくる。
どうも、スタジオジブリの将来に暗雲が立ち込めているように感じるのは、この辺りが原因のように思われる。

などと、妄言を連ねてしまうのも、宮崎吾朗監督が、宮崎駿監督のご長男だから、なのだ。
これが、ただのジブリ出身のアニメーション監督なら、ここまで深読みはしない。
いやはや、偉人の子、というのは大変だ。

[まとめ]
今後のスタジオジブリに不安を感じさせる、宮崎吾朗監督による、スタジオジブリ史上初の3DCGアニメーション作品。

さて、今年2023年7月14日に、スタジオジブリの新作「君たちはどう生きるのか」が公開される。
2013年に監督業の引退を宣言した宮崎駿の監督復帰作だ。
内容はほとんど明かされておらず、不明だ。
しかし、タイトルの由来となっている小説は、叔父が甥に対して、人生において大切なことを伝える、という作品である。
すると、「君たちはどう生きるのか」は、宮崎駿の、宮崎吾朗に対する、メッセージ映画になるのではないか。
何にせよ、久々のハヤオ作品。注目したい。