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ベイビー・ブローカー(2022年製作の映画)
4.2
 橙がかる夜景の中、釜山の乱雑な街並みを大きな雨粒が容赦なく叩きつける。その挑戦的な色調や画調はポン・ジュノの『パラサイト 半地下の家族』の延長線上にあるとわかる。あれはポン・ジュノの手癖というよりも、カメラマンのホン・ギョンピョの特異な画面構成だったのだ。若い女ソヨン(イ・ジウン)は雨をも厭わずゆっくりと施設の中へ足を踏み入れると、大事そうに抱えた赤ん坊を床にそっと置く。赤ん坊は泣きもしないし、泣いたとしてもこの大雨に搔き消されて聞こえないだろうが、息子を置き去りにする母親の一挙手一投足をじっと見つめる厳しい「目」が二手あるのだ。今作は赤ん坊の行方を見つめる人間たちのドラマである。一方の目である児童養護施設出身のドンス(カン・ドンウォン)は、兄貴分でクリーニング店を営むサンヒョン(ソン・ガンホ)と手を組み、赤ちゃんポストに預けた赤ん坊をこっそり連れ去る「ベイビー・ブローカー」を裏家業の生業としている。ヤクザへの借金がかさみ、彼らは躊躇なく犯罪に手を染める。赤ん坊を連れ去る彼らの手口は実に大胆で、特に悪びれる様子もない。もう一方の「目」はサンヒョンらを注視する警察の目で、尾行を続けていた刑事のスジン(ぺ・ドゥナ)と後輩のイ刑事(イ・ジュヨン)は、「ベイビー・ブローカー」の決定的な証拠を遂に掴もうとしているのだ。

 然しながら二手に誤算だったのは、母親のソヨンが翌日、赤ちゃんポストに引き返したことである。赤ちゃんへの贖罪の念なのかはわからない。ただ自分の行動に躊躇し、逡巡し踵を返したソヨンをサンヒョンたちは丸め込み、一緒に里親探しの旅を始めるのだが、ここにロードムービー的な面白さは隠れている。生みの親なのか、それとも育ての親なのかというのは是枝裕和が『誰も知らない』や『そして父になる』、『万引き家族』で繰り返し用いて来た重要なモチーフである。無口なソヨンは粗暴でガサツな男2人と里親探しの旅に出る。最初はすぐに終わるはずだったがソヨンはことごとく会う里親が気に入らず、子供を渡そうとしない。手放したいのか手放したくないのか。さっさと金が欲しいサンヒョンはある種強引に取引をしても良いはずだが、どういうわけかソヨンの想いを大切にしようとする。3人の旅はヘジンという子供も連れ立って、徐々に疑似家族の様相を呈する。当初はギクシャクするばかりだった彼らの関係はヘジンの童心に笑い、打ち解け、徐々に本物の家族の様に見えて来るから不思議だ。やがて3人はそれぞれの秘密をそっと打ち明けるのだが、無情にも刑事スジンの追手はすぐそこまで来ていた。

 プサン~ヨンドク~ウルチン~サンチョク、そしてソウルへ。ホン・ギョンピョのカメラは韓国それぞれの街の生き生きとした風景を実に大胆に切り取る。高低差のある猥雑な夜景はもちろん、電信柱の弛んだ電線、匂い経つような港町の潮の香り、俯瞰で切り取られた手つかずの森林。最初はクリーニング屋のワゴンだったはずが電車を乗り継いで彼らは目の前に迫った「別れ」を惜しむ。特筆すべきは列車の通路でのソヨンとサンヒョンの会話に他ならない。トンネルに入る度に光源は消え、真っ暗になる。端と端に佇む2人の声はよく聞き取れない。そして観覧車の中でのドンスの告白場面の得も言われぬ素晴らしさ。サンヒョンもドンスも醜い大人になってしまったからこそ、ソヨンに面と向かって素直に話せない。雨が降るからと言うと彼女は「迎えに来れば」と答える。そこに漂う気まずい沈黙はソヨンの孤独の焦燥を炙り出す。人生は後戻りできない旅だ。あと少し、もう少し早くに出会っていればと彼らは願うものの、時計の針は逆に振れることはない。「生まれてくれてありがとう」という言葉は、苦しみ抜いた彼らが導き出したシンプルで味わい深い言葉となる。今日、別の母親が捨てた赤ん坊はきっと今作の様な複雑な物語の外へと追いやられ、悲しい事件として処理されるだろう。弱者には生きづらい世界でも、スクリーンの中のある疑似家族の姿は、我々にゆっくりと語り掛ける。柔らかさの中にある種の厳しさを持った、是枝裕和にしか紡ぐことの出来ない優しい映画だ。
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