マルデライオン

ドライブ・マイ・カーのマルデライオンのネタバレレビュー・内容・結末

ドライブ・マイ・カー(2021年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます


ソーニャに抱きしめられていたのは家福だが、観客である私が抱きしめられているような気がした。

「おれのつらさが君に分かったら」と嘆くワーニャ伯父さんを彼女はただ優しく抱きしめ、その両手で語り始める。
「生きていきましょうね。」「全部終わったら、つらかったと言いましょう。」「それまで、人のために働いて生きていきましょうね。」「安らぐときがなくても、生きていきましょうね。」
そんな風に語る彼女の両手を、家福はキョロキョロと目を動かして見る。体が動いている。

「私にとって、自分の言葉が通じないことは当たり前なんです。」と語るユナ。彼女の両手の動きには迷いがない。音や感触が伝わってくるけれども、それが何を意味しているのか、手話を勉強したことのない私には分からない。でもそこに何かがあると感じる。


登場人物たちはみんな、自分が誰かを殺したと思っている。そのことを誰かに聞いて欲しいと思っている。その罪の告白が、私がいたことの証明になるからなのだろうか。自分の愚かしさ、すなわち自分の孤独を誰かに語って聞かせるという、不可能に思われるようなことをみんなが勇気を持って試みる。ときにフィクションの力を借りて。
私の心を生かすために。自分の愚かしさによって大切なものが永遠に失われてしまったことを、激しく後悔し悲しむ自分の心を、なかったことにしないために。

自分の心を見つめる人の瞳は、湖のように潤み、星のような光を灯す。音はセックスの後、ひとり星を灯す。セックスをする度、音は影になるのかもしれない。美しい冒頭シーンは忘れられない。もしかしたら体の反応が、音になにかを思い出させるのかもしれない。だからセックスをすると、音は語り出すのかもしれない。折り重なるように眠る家福の下で、影のようになった音の、目のあたりにきらきらと星が灯る。このシーンもとても美しい。家福の視線を逃れて、音はひとりで星を灯していた。
 それから、印象的なのは高槻の瞳だ。車の中で家福を見つめ続ける彼の瞳には、高速道路の灯火が映り込む。でもそれだけではない。内側から強くなにかが発光しているのを感じる。それは、みさきが見抜いたように、本当のことを語ることからくる強さだったのかもしれない。あるいは、世界が、ワーニャ伯父さんのテクストが、自分にまったく応えてくれなくなってしまった彼の、孤独の強さなのかもしれない。

もちろん、心の内を打ち明けたからといって、必ずしも世界が応えてくれるわけではない。しかし、この映画では奇跡が起こっている。みさきを家福は抱きしめる。ソーニャはエレーナを抱きしめる。ワーニャ伯父さんをソーニャは抱きしめる。自分の告白に、たしかに他人が応えてくれる。抱きしめるという仕方で。誰かの孤独を感じとるとき、人は人を抱きしめる。
ひょっとしたら、抱きしめるというのは、その人の孤独の輪郭に触れるという行為なのではないか。ときにその輪郭を優しく撫でながら、存在を確かめるようにして、しかし決して壊してしまわないように、そっと包み込むということなのではないか。


家福がつらい胸の内をみさきに打ち明けたとき、なにかが変わった。ずっと淡々としていた家福の顔がくちゃくちゃに歪み、何も映さないかのように思われた鈍い瞳がなにかを懸命に見ようとしている。涙も溢れる。
「生き残ったぼくたちは、この悲しみとともに生きていかなきゃいけないんだ。」
そのとき、私は自然と音のことを思い出していた。音が家福とみさきのすぐそばまで来ているような気がした。風みたいになって、二人が気づかないくらい柔らかく、そっと抱きしめているような気がした。ちょっと笑いながら、なにか話しかけているような気がした。
マルデライオン

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