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ハウス・オブ・グッチのYAJのネタバレレビュー・内容・結末

ハウス・オブ・グッチ(2021年製作の映画)
3.3

このレビューはネタバレを含みます

【売り家と唐様で】

 ひと言で言うと、ファッション業界を舞台にした『ゴッドファーザー』(の焼き直し)?! アル・パチーノの貫禄が、その趣きをより一層強調しているかのよう。
 とはいえ、ショバやシノギを巡っての抗争ではなく、ひたすらお家騒動を描いていて、GUCCIという老舗ブランドで起こった事実に基づくものでなければ、極々ありふれたお話ではある。

 それでも、豪華な俳優陣と、本当にこれが2作目? と驚くガガ様の熱演、芸達者ぶり。GUCCI一族を崩壊に導く悪女っぷりを見事なまでに熱演していた。
 アダム・ドライバーは、いつもながらの存在感。何を演らせてもアダム・ドライバーなのかもしれないけど、どの役を演じても、それなりの説得力を伴っていて安心感がある。
 ジェレミー・アイアン、ジャレッド・レトなど、新旧錚々たる面々が、ファッション業界、セレブリティの生活の中で華麗に動き回る様が、旧き良き時代の雰囲気を存分に醸し出し、王道のハリウッド映画という趣きを湛えていた。ある意味、コテコテでもあったけど、敢えてのベタな直球演出だったのかなとも思える。

 とにかく豪華! 華麗なる一族のお家騒動、転落と愛憎の日々は、実に見応えある眼福な一作。
 GUCCIというブランドそのものには個人的には全く興味はないが、本作、ブランドが好きな人、ファンにとっては、どう映るのだろう。こんな黒歴史でさえも、ブランド価値に花を添えているのだろうか。それでこその、一流ブランドということなのか。

 エンドロールの字幕テロップで、現在のGUCCIの経営に一族は一切関与しておらず、一企業として隆盛を誇っている旨が流れる。



(ネタバレ含む)



 原作があるお話。サラ・ゲイ・フォーデン著の『The House of Gucci: A Sensational Story of Murder, Madness, Glamour, and Greed(2001年)』。 1990年頃のGUCCI一族のお家騒動を描いたミステリーを基にしている。最後に殺人事件が絡むだけにミステリーとして語られるが、いわゆる謎解き的な楽しみはない。
 また、ガガ様が演じた主人公パトリツィアが、「貧しい家庭出身の野心的な女性」、「グッチ家の崩壊を招く」や、「一族間の確執をあおり、グッチ家での自分の地位を高めブランドを支配しようとする」と、悪女的な紹介され方が多いが、果たしてそうだったかな。

 義父にあたる創業二代目のロドルフォ・グッチ(J・アイアン)から夫となる息子マウリツィオ(A・ドライバー)はパトリツィアのことを「金目当てだ、気を付けろ」と示唆されるが、純粋にマウリツィオを愛し、一族で不遇をかこつ主人をなんとか大成させようと奮闘する、むしろ、健気な内助の功に思えた。
 ただ、その手腕、やり口が巧妙で、的を射すぎていて“野心的”や、“支配しようとする”という印象を与えるけど、同族経営で崩壊をはじめているGUCCI帝国を建て直すために必要な画策だったのではと思えた(史実は史実として、この作品のパトリツィアの描き方は、という意味で)。単に、ガガ様が魅力的だったからかもしれないけど。それほど圧巻の女帝ぶりでした。

 惜しむらくは、女房の期待を背負った旦那が、いまいち経営手腕に秀でておらず、手にした権勢を奮ってさらなる飛躍へ繋げることができなかったこと、そこがGUCCI一族の不幸だったのかな、と。
 正に「売り家と唐様で書く三代目」を地で行く展開。

 そういう点で、その三代目マウリツィオにA・ドライバーの抜擢は絶妙だったと思う。リドリー監督とは、本作の前、『最後の決闘裁判』でもタッグを組んでいるドライバー。
 『最後の~』でも、無邪気な世間知らずの貴族を演じ、悪気もない浮かれポンチキの勘違いで事件を起こしてしまうが、本作でも、パトリツィアの努力を無駄にし活かせなかった責は、三代目の技量にあったんじゃなかろうかと思わせる好演(でいいよね?)。
 でも、そんなダメな三代目を、いつもの彼らしく、説得力高く演じてました。

 栄枯盛衰、盛者必衰。凋落崩壊の物語のカタストロフィは、その対象が庶民の手の届かない存在であればあるほど、野次馬根性が刺激されて面白いもの。そんな、恐いもの見たさもある、なかなか興味深い作品でした。
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