母親だとは思えないから、肉子ちゃんと呼ぶ。
母親だと思ってしまったら、申し訳ないと思っているから。
母親だと思えてしまったなら、どんなにか楽だろうに。
そんなこと、11歳では、想像すらできない。
寂れた漁港の潮風に傷んだ標識や看板の錆をしつこいくらいにリアルに描くのも、清々しいはずの夏の雲のとげとげしい輪郭を強調し、秋の高い青空を鈍い色調で描くのも、
ここにあらずの心には、まさしく、そう見えるから。どの土地の街も空もそう見えるから。きっとこれからもそう。
動物の鳴き声に素っ頓狂なアフレコを当てるのも、声が出てしまっている自分に気が付けないのも、何かが溢れてきてしまっているくらい、虚ろだから。
そんなことでもやってないとやっていられないほどに。
なのに、オトナの印はまだ来ない。
待ちきれない。
ショッキングピンクの金魚が場末の汚い小部屋の片隅で明滅する。
雪や星にも、チック症のオトコの子にも、彼の自棄の受け皿からも、光をもらう。
くすんだ風景に、チカチカと。
近未来的な。時に下品で、時に夢みたいな。
自分の命が闇に浮かぶ。
べた塗りの蛍光色が眼を射る。広がって、ああ、と、堰を切る。
まだ、それだけ。しかし、ようやく。
成り行きで、いいじゃないの。
大事にされているし、大事にしているのだから。
神域に至りつつある、明石家さんまの手も借りて、吉本もアニメに進出か。声優の手配はほとんど、彼の差配とおぼしい。
アホやなあ、の温もりの本質を上品に追究しながら、余白も謎もまじえて、つじつまをしっかり合わせる、計算高い、奥ゆかしい映画だった。
いや、明石家さんまは、もう神域にある。エロ神社に祀られつつある。