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明け方の若者たちのidtakoikaのレビュー・感想・評価

明け方の若者たち(2021年製作の映画)
2.0
「彼女」は現代日本における強固な規範を逸脱している。この逸脱自体をどうこう言う権利は私には全く無いのだが、逸脱に至るだけの狂気ないしは葛藤の描写が全くといっていいほど無く、そこがなんとも物足りない。個人的には、あらすじの「この時間に終わりが来る」を確実に、そして「マジックアワー」に喩えることができるくらいに「エモ」いかたちで実現させるためだけに、この逸脱を「彼女」に無理やり押し付けているように感じた。
 このことを「女性に対する押し付け」と括ってみると、他の場面でも何となく同じ括りに入れられるような描写がいくつかある。胸部が発達した女性を好むことをほんのりイヤミにいじってくれたり、あとは「彼女」ではないが会社の後輩や風俗嬢が適切なタイミングに適切な内容の慰みをしてくれたり。まあよくもここまで、男性側がしてほしくてたまらない言動をしてくれる女性が周囲にたくさんいるものだ。
 「彼女」が「マジックアワー」を実現させる存在になるために、院生の割に思想や趣味や癖が作品の中で見えなくなってしまったとする。つまり、「彼女」の持っている思想や趣味や癖は物語のために仕方なく犠牲になってしまったのだといったん飲み込んでみる。それにしても、「僕」の方くらいはもっと思想や趣味や癖があってもよかったのではなかろうか。勝手なイメージだが、レッチリのTシャツを着るくらいなら、例の逸脱にむしろ興奮するくらいの癖、言い換えると、ある種の甲斐性を見せつけてほしいものである。そのはずが、あの短時間の前戯やコテコテのヤケ酒は情けない。せっかくの素敵なロケーションであんな淡白なクンニリングスは、自分が「彼女」だったら確かに1週間連絡を断つ。連絡が取れなくなるあの出来事が仮に発生していなくとも、仕置きとして自ら断つ。
 レッチリが好きではないのにあのTシャツは何となく着ている、ということだとしたらもっと情けない。まあ、あんな場面で職種を偽るような奴だし、まともに聴いているのは確かにラッドくらいでちょうどいい。むしろレッチリは聴いてなくていいや。
 これだけ情けない割に、ハンコのマナーには一丁前に反発した素振りを見せてみたりするから厄介だ。情けない奴でもなんとかやっていくためにマナーが存在すると考え、粛々と従いなさい。もしも総務部を、彼が思う通りつまらない部署とするのであれば、この企業の人事担当者の慧眼に恐れ入る。つまらない人間をつまらない部署に配置するという、極めて合理的な判断ができる人ということだ。
 総務部は、仕事は確かにつまらないかもしれないが、描写がある2人については相当面白いはずだ。いきなりBasement Jaxxの曲の一節を無茶振りしてくる先輩が面白くないわけがない。あの椅子の運び方を延々続ける後輩が面白くないわけがない。どんなに色とりどりのものだって、真っ暗いレンズを通すと同じく灰色に見えてしまいます。もし総務部をつまらないと思うなら、そんなレンズを持ち続けている自分を省み、恥じ、改めなさい。
 この映画で唯一感心したのは、「えちえち山手線ゲーム」でのワードチョイス。「アナリスト」「むき栗」「御成門」という3連続は大したものである。ここでも主人公は「ちんちん電車」。いちばん大きなため息が漏れてしまった。それでも友達を続けてくれる彼は本当に優しい。しかしここについても突っ込みがひとつ。「えちえち」という単語が、オタク界隈だけでなく一般的に使われだしたのは、Twitterで調べてみたら2018年頃で、どうにもおかしい。さらに、「彼女」は2013年度にマザーハウスへ新卒入社しているが、マザーハウスの採用サイトには「新卒の採用が始まったのはここ数年」と書いてあり、調べる限り最も昔でも、2015年度からしか新卒の情報が無い。2013年度は社員は30名に満たず、新卒採用をしているようにはあまり思えなかった。このあたりの詰めの甘さが、映画全体の妙に乗り切れない雰囲気に結びついているような気がする。相対的に、「花束みたいな恋をした」はその辺りが随分緻密だったのだなと思わされた。
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