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エッシャー通りの赤いポストの8637のレビュー・感想・評価

4.3
とてつもない怒りを感じながら夜道を帰った。たぶん、中途半端に逃げた奴への怒りだ。映画の話には、映画に恋する者としていつも心を揺り動かされる。どうか、"衝動"だとか生半可な言葉を使わずに感想を書き終えたい。

まずは、これをよく園子温が撮り上げた!ベテランかつ破天荒の印象がついた園子温だからこそ入れられた喝だったと思う。僕は、"予告を見ただけだけど「紀子の食卓」のテーマがこの映画で流れたことに薄々勘づいた"くらいに監督のファンだ。
「プリズナーズ・オブ・ゴーストランド」と比べたらだけど、僕はこんな園子温を待っていた。監督の映画のために何人も熱情を振り撒いて、最高の瞬間を作り上げようとしている。後述するが、それについての価値を改めて考え直させられた。傑作。

無名俳優がワークショップを受講してまで演じた、エキストラたちの物語。YouTubeに上がっているワークショップの風景を見ると色々分かる。
反復があまりにも多いのではじめだけくどく感じる。また、演劇に似たくどさがやはり湿っぽさを生み出してる。
しかし、安子が出た瞬間に空気が変わる。耐性のない自分の前には緊張が生まれる。彼女は自嘲気味に自分の安さの事を"カルマ"と呼んでいたが、彼女が持ってして出て来た異常性と可憐さこそがそれだと思う。切子を演じた黒河内りくさんもとても良いが、一番ビビッと来たのが藤丸千さんだった。

役者目線でありながら監督の物語に帰結するところが園子温っぽい。表現の自由というテーマを取り上げるなら表現者としては監督など製作側を映し出したいのだろう。そして、映画は役者の成長物語から国内の現場情勢へ。
撮影現場が苦ばかりだというのは映画関係のフォロワーさんのツイートでよく知っているが、監督が主導権を握れない現実を知らされるのは辛い。こんな方法でキャストが決まった映画に対して自分も「面白い」と言っているのかもしれない。その側面を何も見せずに楽しませるのが映画の夢の部分でもあるし、闇でもある。

映画制作を志しているが、心の中で実は「映画不要理論」というものを唱えている。これは、自分が映画という娯楽を軽んじすぎて浮かんだ思想で、社会的な人気にならない映画にお金をかけたりたくさんの人がこだわる事ってそこまで重要なのか?という考えだ。映画はそもそもが日常生活のオプションで、だからこそこだわり抜く必要なんてないんだと思う。これは自分の逃げでしかない。

それでも映画は、多くの人に夢を与えてしまう。そうやって出演者たちはオーディションに集結してきたのだ。誰も観ない映画じゃない。だからこその影響力と、出演する無名俳優たちの成長。勇気があるからこそ、二人はスクランブル交差点に立って叫んだ。しかも、(パンフを読む限り)何食わぬ様子で。藤丸千として、黒河内りくとしての半端ない度胸だ。

監督の初期自主作品を観て、この映画に繋がったDNAを集めてみたい。ちなみに、地味にアマプラで見放題だ。マイベスト園子温でもある「地獄でなぜ悪い」と見比べても良いかもしれない。近作にはこのオーディションで選ばれた俳優たちも出ているし、それを見返すのも良いな。
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