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米崎町りんご農家の記録
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『米崎町りんご農家の記録』に投稿された感想・評価

☑️『米崎町りんご農家の記録』及び『根をほぐす』『砂連尾理のダンス公演‘猿とモルターレ’映像記録』▶️▶️
映像作家としての、小森はるかに惹き付けられたのは、1年と少し前、恵比寿映像祭で、『二重のまち』『空に聞く』を、あまり間を置かずに観てからだ。平面としての構図、縦の図、カメラの動かし方、場と時の配置·入り繰りに、とてつもない天才を感じ、ちょっとブルッてからだ。『息~』を以前観た時は、近頃·珍しい良作、とは思ったけれど、作者の映像感覚に取り立てて感心する事はなかったのに。それが今回、本来一般向けに劇場上映する目的で作ったのではなく、特集プログラムに入れるのには作者了解に難渋したという、2本の現地の人向け作品のあり方、2本の対象のあり方とそれへの関係の差異で分かった。『根をほぐす』は、『息の跡』の種店を縮小も有用なやり方でいきいき再開·様々な自己への内面的な活動にも自然にのめり込んでる、佐藤さんの、規範の社会システムに乗らず、自力の技·意志でドンドン独自の途を切り拓く、無駄や隙·迷いのない選択で向こうの主導性がつよい。映画作品としての魅惑でもある、無為や呆然の呼吸が入りにくい流れに気づく。2016年当時、現店舗を移築の為に解体、客の繋ぎや解体スピードも怠りなく、受身もビジョンもある内容で、作家が入り·拡げるスペースがかなり狭くもある気がする。素材·現実として、惹き付けられ面白いが、映画の一方の面白みの、何気の自由の度合いは少し低い気もする。
それに対して、『空に聞く』や『~りんご~』は、対象も作者も、確たる信念·その実践に固まった作ではなく、なかなか中心を見極められず、周辺を身についた感性·技術が無意識に動き、意図が薄い分、無意識のもうひとつの自分が大きく何かにはまり込み、勝手にうごめき·向かう姿勢を現していく作品らである。特に『~りんご~』は、家族は既に移ってる仮設や、どういう経緯か分からなかったが周りの厚意にもずいぶん助けられた、中身が整っていないが立派な新築の家にもまだ入らず、裏山のリンゴがかなり健在の、津波で中も泥々になったのも洗い直し、辛うじて機能している旧邸に暮らしながら、無意識に以前の生活を呼び起こそうとしている老夫婦が対象で、懐ろの柔軟さ、間が空いても通うものがあり·内的にどこへでも進める·どんなものにも対応し得る、持って生まれた穏やかさ·構えと築いてきた生活の力を描いてく作品である。多く手持ちで、だがスタッフに任せてるのも多いカメラ、自分だけでなく例の童話作家の相方も端の方に写り込み語ることもある、移動もパン·揺れも、構図もサイズ決めも、とくに力まない作において、絵のフレーム、付いてくリズム·コーナリング、裏山と家と少し向こうに対峙の海の配置と·車や人の動きと位置の結び、被写体に内からいつしか寄ってくorズームの選択、そして自然の緑と着てる·被ってる物の赤や青の色というものの原型的始原的そこしかないはまり方瞬間普通に持続、それら·これしかないという捉えられた映画的あり方瞬間群途切れなさが·内容を裏打ちし同等の説得力を持っている。やたらうちに着て家人以上に存在感あり喋べくる老夫の友人も、料理も小物の細々説明も迎え方もとぼけてるのが頼もしく写る老妻も、夫婦の接ぎ木や·余分な芽の直観次々むしりらの·神業も、世界で最上の説得力を与える写し対応·収めがなされるのである。
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舞台の公演の記録については、ずっと勘違いして観てたハンデがある。大阪の舞台人が東北に出向いての励ましの目的のこもった演目の筈、それにしては2030年現在の生活の場と·津波対策もあり30メートルだったか埋められたかつての生活の場が交感し合う「二重のまち」(正に今公開中の作で若い世代に委ね発展させた)の著者=映画創作の相方でもある朗読の声もハッキリ聞こえない位の、尖鋭な音響、舞踏~反復と群舞円環~、装置~波と上下~、世界~2階席と舞台を入れ換わる~、といった直截的な効用から·内に籠り更に内に問いつづける閉塞自体のもつ力へのシフト、の舞台は如何なものとも思ってたが、ラストで公演場所を茨木と知った。
自分が扱うかどうかは別にして、どのようにカメラの機能を捉えるか、それを限界も含め(神とか道具とかでなく)地球の一部を担う外せない構成要素とし、有機的な生命体としての割り当てを与え、共存·共闘してゆく。それはこの上演記録ものにおいても、2階席から退きの俯瞰、ステージの斜め脇からの目の高さ·よりフルサイズに近い捉え、舞台場の90°変やどんでんの説明というより呼吸·節度ある寄添い、の組立の確かさ、とりわけ今回の映像共作者がいきなり勝ち取った舞台の被写体近くカメラマン入れ·寄りサイズも、決して編集で安易に多用採択せず、2階席からカメラの直前を走り横切る存在に対し、寧ろスッと対応·半スポット感覚での、少し後·舞台上フリーめの先のカメラがやや仰角で捉える、若い演者らの高低と虚実を横断する円環運動の証左の図の、著し·遅れてのメイン登用、等でも明らかな稀なるカメラを最良の伴侶に格上げ出きる、天賦の才能·心持ちの作家だ。撮ってるんだぞという、気負いの先走りが存在しない。
米崎町りんご農家の記録という題ながら、りんご農家としての夫婦はあまり写し出されない。語りに人間を見出し、手仕事を礼賛する姿勢はこの頃から変わらない。

 
『あいだのことば』も見た
ゑぎ
3.5
 2011年5月からの、リンゴ農家の老夫婦と1匹の犬、トムの記録。震災直後のボランティアで瓦礫を片付ける若者たちが記録されている。2回目の訪問は半年後。遠くから道を歩いてくるお婆さんをずっと待って撮ったカット。アンゲロプロスみたい。

 お婆さんの折り紙と吊るし雛の話。吊るす前に津波で流されたと云う。お爺さんからは、リンゴの木の「接ぎ木」のやり方を教わる。あるいは、お婆さんと一緒に、リンゴの花の間引き作業を手伝う。どの花を間引けばよいのか、素人にはルールが分からない(こゝ面白い)。こういった、瀬尾夏美と老夫婦の交流の場面がほとんどだが、でも、お婆さんが「はるかちゃん、飽きないね。飽きたらダメだよ」などと、カメラに声をかけるカットがある。例によって、しっかり応える小森はるかの声も入っている。お婆さんが日記の話をする際、「小森さんと瀬尾さん」が来たことを日記に書く、というような表現を使うのだが、これは日記への記述を意識した言い回しで、普段は、はるかちゃん、夏美ちゃんと呼ばれている。ラストは高台の神社へお参りするシーン。お婆さんが「はるかちゃん帰ろ」とカメラに云い、道を歩くお婆さんたちの後ろ姿で終わる。被写体としてのお婆さんがとても可愛いのだが、さらにカメラとの関係が魅力的なのだ。