わっせ

幕が下りたら会いましょうのわっせのネタバレレビュー・内容・結末

幕が下りたら会いましょう(2021年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

書きかけの文が消えるという憂き目にあったので、後半さらりとなってしまった。いつか書き直すかも



監督が「音にこだわった」という本作は、しっかりとした映画館で観るにふさわしい、音の質感だけでなく、音による演出が大変大きな意味を持っている。

それが如実に表れているのが、5.1ch(だよね?この種類の音しか見分けられなかったけど)の割り振りである。右後ろに割り振られたのは尚の音であり、全編を通して、そのスピーカーは使われてはいるはずだが、際立っているのはほぼ3回だった。尚の生きた証とも言うべき音は、①冒頭、彼女の旅立ち ②母親のもとへ帰宅 ③ラーメンを食べる姉を見守る というこの3回なのであるが、やはり贅沢に彼女ひとりのためだけに割り振られているように思う。さらりと通り過ぎていくように、しかし雑踏のなかで際立つように、スーツケースというアイテムを(部屋のなかにもちゃんと置いてある笑)巧妙に埋め込み、それを音の存在によって表現した演出は、感動を通り越して嫉妬すら覚えた。
「音にこだわる」というのは、音の材料、すなわち録音された音だけではなく、その使い方・調理法にこそ表れている。監督のこだわりは決して過言ではなく、やりきった確信と自信からきたものなのだろう。
特に、上述した③の音の使い方は、思わずため息を出してしまうほど見事だった。その場面は、ふらりと立ち寄ったラーメン屋で、ただ「ラーメン」と注文して出てきた、ただのラーメンを、そしておそらく涙を流しながら、すすり続けるというものだ。この映画において、飲食の場面はほとんどない。葬式と火葬場で弁当の存在は描かれるが、その弁当は食べないし、居酒屋では、麻奈美が登場したと思ったら次のカットでは出来上がっており、バーの皿の上にはなにもない。
何度か、ブラックの缶コーヒーを飲む場面があるが、飲食はほぼすべてそれだけだ。しかし、本当にラストのラスト、麻奈美はラーメンをすする。しかも、妹の存在を示唆する音と一緒に。ここで麻奈美は、妹に赦された(この表現が適切がどうかわからないが、麻奈美はようやく妹と向き合ったのだ)と同時に、「それでも生きていくのだ」という決心をした。ここには、食べることと生きることに関する、監督の哲学のようなものを感じた。

しかし、この映画はなぜか、あまりおもしろくない。演出は見事で、カットもきれいなのに、なぜかあまりおもしろくない。これは、登場人物に感情移入できないからでは、と思ってしまう。
麻奈美は、結構クズな人間だ。妹の作品を盗んで名誉を手にし、30を過ぎて定職につかず、酒癖は悪く、妹の死を悼む様子はあまりない。
母親も立ち位置がよくわからないし、早苗には感情移入よりも同情が先立つ。
女ばかりの映画において、「ここわかるわー」という視座のようなものがあまりなく、目の前で麻奈美がフラフラしている、という映画に見えてしまった。

しかししかし、やはり音の演出はすばらしく、それだけで観る意義と語る意義がじゅうぶんにある映画だった。
わっせ

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