いわし亭Momo之助

サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)のいわし亭Momo之助のレビュー・感想・評価

4.0
副題にテレビという言葉があるので 素材はビデオ撮影されたもの(画面の両端に画像ノイズが見られる)だと思われる

音声がリンクした形で残された映像の数々は 正に驚異の連続であり この映像だけを評価すれば満点。問題は この作品がいわゆるフィルムコンサートの体をなしていない ということだ。この貴重なライヴ映像に 何故か 当時 このフェスティバル に参加した素人観客の感想や思想家 活動家 芸人 等々(参加したミュージシャン自身のものは まぁ 仕方ないか。スティーヴィー・ワンダーのコメントなどは 確かに重要)のコメントが 音声を削ってまでオーバーダビングされている。あるいは 当時の世相を振り返るべくニューズ映像が 多数インサートされている。大変 不満である。
制作サイドは この フェスティバルが開催された背景から 1969年当時の世の中をもドキュメントしようとしており 実に小賢しい 余計な演出だと思う。例えば ゴスペルの女王マヘリア・ジャクソンとメイヴィス・ステイプルズの熱唱が 1年前に非業の死を遂げた盟友キング牧師に捧げられたものであることや 観客と警察の軋轢を懸念して 会場の警備をブラックパンサー党(1960年代後半から1970年代にかけてアメリカで 都市部の貧しい黒人が居住するゲットーを警察官から自衛するために結成された黒人民族主義運動・黒人解放闘争を展開していた急進的な政治組織)が担当したというような逸話は その気があれば すぐにたどり着ける情報だ。各ミュージシャンの演奏から 必要なことは全て伝わるのであり 残された素材には 出来る限り手を加えず 生のまま提供する というのが 正しい対応である ということが 全く分かっていない。

“ ウッドストック ミュージック アンド アート フェスティヴァル” は 3日間で約40万人の観客を集め  1960年代アメリカ合州国のカウンター カルチャーを象徴する歴史的なイベントとして認知され ワーナーブラザーズが音楽映画としてドキュメントしている。一方 同じ1969年の6月から8月まで 日曜日の午後3時にハーレムのマウント モリス パークで 計6回 無料で開催され 累計30万人以上(しかも そのほとんどが黒人)が参加した “ ハーレム カルチャラル フェスティヴァル ” は 撮影された映像素材が その後約50年も地下室に埋もれたまま 黙殺されていた。それは何故なのか? 歴史的発見などと 浮かれた批評が多いが これこそが非常に重要な問題である。ところが 作品ではこのことに一言も 触れていない。ドキュメンタリーを気取りたいなら まず この問題について 詳らかにする必要があるだろうに…
まぁ 何にせよ このような奇跡の映像が 50年後の今日 ジャンクされることもなく また大きな劣化もなく デジタル化され 無事に見られたことは 何よりも有難いことではある。まず やるべきはライヴ映像のみの完全版を時系列に沿った形で制作することである。

黒人音楽につきまとう問題は 黒人ミュージシャンの多くが 聴衆が白人か 黒人かで 演奏内容を明らかに変えることである。当然だが 黒人を相手にした演奏こそが 本来の姿であり 聴衆が白人である場合 あるいは白人主導で行われたレコーディングで聴けるコンテンツは 彼らの仮の姿に過ぎない。それでも 歴史的なライヴ あるいは 名盤は数えきれないのだから ジャズやロック ソウル ファンクなどポピュラー音楽における黒人音楽のレベルの高さは 白人音楽など そもそも比較対象にすらならない。
いわし亭は 合州国の黒人音楽に限界を感じて 民族音楽に流れたリスナーなのだが そもそも 本気を出してる彼らの演奏を聴けていなかったのだから リサーチ不足も甚だしかった。それだけに これから続々 発掘されるであろう合州国のポピュラー音楽の金脈に 大いに期待している。

“ ハーレム カルチャラル フェスティヴァル ” は 先述したように 聴衆のほとんどが黒人という前代未聞の非常に特殊なライヴであり 出演しているメジャーなミュージシャンでさえ こうした状況でのライヴは 極めて稀なことではなかったかと思う。そして これがトンでもなく重要なファクターであることは すぐさま理解されるであろう。映画を見る前から 凄まじい内容であることが 容易に想像出来るのだ。例えば ウッドストックでも ベスト アクトの一つと称されたスライ アンド ザ ファミリー ストーンなど このハーレムの無料ライヴの方が はるかに出来がいいのだから 信じられない。もちろん 彼らだけでなく 出演した有名 無名のミュージシャン それぞれが 聴衆の人生を変える程の力を持つ 異次元のパフォーマンスを連発するのだ。ここで行われたパフォーマンスが記録されていたことが そしてその映像が 50年後の今日 簡単に鑑賞できることが いかに奇跡的なことか その意味を よく考えてほしい。


夜の8時スタート という遅い時間のロードショーであったことは否めないにしても いわし亭は何と 生まれて初めて 映画館で 本当にたった一人で映画を見た。年間に 200本以上見ていた時代にも こんなことはなかった。逆に たった一人の気安さからか 手拍子を取り 足踏みをして まるで家でテレビを見てるかのように 贅沢な時間を過ごした。歌詞を覚えている曲があれば 一緒に声を出して 歌ったに違いない。
このような奇跡の作品が 興行的に不遇である。何と 遺憾なことであろう…