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ベネデッタのGreenTのレビュー・感想・評価

ベネデッタ(2021年製作の映画)
4.5
さすがヴァーホーヴェンは活きが良い!

舞台は17世紀のイタリア。5歳のベネデッタは修道院に入れられるが、非常に信仰深い少女なので、修道女は「キリストの花嫁」と疑わず、幼いのに生涯を信仰に捧げることに迷いがない。

どうもこの娘は神の声を聞いたりなど「奇行」とも「奇跡」とも取れる行動は多かったらしいのだが、修道院最初の夜、就寝時間を過ぎてから聖母マリアの像にお祈りしに行くと、像はひざまずいたベネデッタに向かって倒れてくる。しかし、像はベネデッタを押し潰す手前で止まり、ベネデッタは「これで聖母マリア様にキスできる」と像の乳房にキスをする。

それを目撃した修道女たちは「奇跡だ」と十字を切るのだが、修道院長のフェリシタ(シャーロット・ランプリング)は「奇跡は厄介だ」と一蹴する。

色、音、光、構図、衣装、セット、みんな「本物の映画だ!」って感じ。有象無象の「どうせだから最後まで観る」って映画じゃなくて、何が起こるか待ち切れない!ってワクワクする感じ!

これ、カソリック教会が舞台だし、またヴァーホーヴェンだからエロ、グロ、ヴァイオレンスと色々物議を醸し出す(『ELLE』のチームがやってるってのもwww)作品なんだけど、そんなぶっ飛んだ作品じゃないよ。信仰とは何か、教会内での確執などなどを描く王道作品で、そこにもちろんヴァーホーヴェン節が炸裂しているのですが。

内容は、ざっくりいうとベネデッタはキリストの声を聴く、「女キリスト」って感じなんだけど、取り憑かれたように暴れたり、具合が悪くなったりする。キリストが磔にされた時と同じ穴が手の平や足の甲に開いていたり(もちろん流血)、いばらの冠の跡がおでこに出てきたり。

同時に彼女は若くて育ちの悪い修道女とレズビアン関係になる。この時、聖母マリアの木彫りの像を削って文字通り「コケシ」にして使う描写が・・・そりゃあ教会怒るよなあ。でもこういうことを敢えてするヴァーホーヴェン私は大好きだ(爆)!

あと、磔にされたキリストにイチモツがない。『羊たちの沈黙』のバッファロー・ビル状態になっている。これも絵的には笑っちゃうし、教会は怒るけど「神は女かもしれないじゃないか」という深い意味があると私は思う。

レズ相手の修道女の女の子が、ベネデッタを「神への冒涜」で訴えたい教会の偉い人に「証人」として「拷問される」のだが、その拷問器具が、あの、女性ならみんな知っている、子宮頸がん検診のときに膣を広げる器具!!!!!あれを使ってどうやって拷問するのかは見せないけど、ずーっと女の子が叫び続けているのが修道院中に響き渡るのがもう!

あと、ベネデッタの妄想の中で荒くれ者に襲われた時キリストが助けてくれるんだけど、悪者の顔が剣で真っ二つとか、疫病でボロボロになったフローレンスにいるホームレスや病気になった人々の描写が、ヴァーホーヴェンらしくて笑う。

このベネデッタって人は実在したらしく、この人に関する歴史的書物が原作らしい。その内容は、ストーリー的にはほぼ映画と同じようだけど、ベネデッタが本当に神の声を聴いたのか、それとも彼女の狂言なのかは、映画の解釈がある。

元々脚本化していた人は、ベネデッタが男性優位の教会で女性として苦労する「フェミニスト」系の話にしたかったのに、ヴァーホーヴェンはベネデッタがレズビアンであることを全面に押し出すように変えたので、この脚本家はそれを「性器をいじくりまわしてばかり」と批判しているらしい。

ヴァーホーヴェンはそれを「原作のサブタイトルがThe Life of a Lesbian Nun in Renaissance Italy(ルネッサンス期イタリアのレズビアン修道女の一生)となっているのには理由がある。その部分を気取った、取り澄ました制約なしに明白に描くことが主題を語るのには不可欠なんだ」と断言したらしい。

私もそう思う!この作品を「ガールパワー!」みたいな昨今のポリコレだけを気にした上っ面だけのフェミニズム作品にしなかったのはさすがヴァーホーヴェンだ。この人女性蔑視とかって言われるけど、すごいフェミニストだと思うよ。なんでこんな女性の立場になって解釈できるのか、おじさんなのに(笑)。

私が思うこの映画の解釈:

ベネデッタは、手足や額のキズを自分でつけたらしいと示唆されるし、キリストの声を聴いたって言うのも嘘というか、思い込みなのではと示唆もされる。

でも他の修道女たちは、ただ厳しい戒律に従うことが信仰だと思っているだけで、神様なんて信じちゃいない。教会の権威も、ベネデッタが神の声を聴いたのが本当に奇跡なのかどーなのかってことはどーでも良く(だってそもそも神様なんて信じてないんだから)、ただそれを政治的に利用できるかしか考えていない。

ベネデッタの信仰は本物で、彼女はキリストを本当に愛し、その痛みを受けることも厭わない。自分で手足に穴を開けたり額にキズを付けるのも、「キリストが私にやらせている」と正当化しているけど、それが信仰心から出ていることに間違いはない。

当時は疫病が蔓延していて、人がバッタバッタと死んでいるんだけど、ベネデッタの修道院があった街は疫病が流行らなかったらしい。でも、彼女を「神への冒涜」で処刑しようとした修道院長と大司教は疫病に患って死ぬ。

ヴァーホーヴェンは小さいときから神聖なるものに興味があり、それをこの映画で表現したかったらしいのだが、ベネデッタの信仰は神聖なもので、レズビアンであることが戒律を破ろうが、奇跡を偽造しようが、彼女の信仰の「神聖さ」は変わらない、だから神は疫病から街を守ったってことだと思った。

これって『ELLE』にも共通している。性的に奔放であることが「人間が汚れている」ってこととは全く関係ない。人間社会の倫理を破る人間が崇高な人であることも多い。いや〜、こういう人間の多面性というか、そういうのを分かっているヴェーホーヴェン好きだなあ、やっぱ!!
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