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わたしは最悪。のSPNminacoのレビュー・感想・評価

わたしは最悪。(2021年製作の映画)
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三人称なのに、なんで邦題を一人称にしたんだろ?
コミック作家である一回り年上の彼氏アクセルと違って、何者でもない自分に自信がないユリヤ。オスロの狭く小さな世界でパーティから別のパーティへ、今の男から新しい男へ。やりたいことはよくわからないけど、したくないことはわかる。
選り好みしてるようで、実は想定外な出来事にリアクションするばかりの受け身だ。アクセルといると選択を迫られるけど、似たように主体性乏しいアイヴァンとはお互いプレッシャーもない。「ずっと考えてた」ことは後出しでしかなく、彼女の創作が変化をもたらす訳でもない。そうこうしてるうち避けられない選択に直面しても、選ぶことすらできなくなる。
主人公でなく大勢の中の一人みたいに捉えどころないユリヤは、自分のことであって自分自身じゃない創作テキスト、どこか他人事の三人称視点に身を置いている(どうしてかはわからない。先祖代々の女がそうだから?)。アクセルを置き去りにアイヴァンのもとへ走る「1日」だけは、何もかも自分中心に回る素晴らしき世界だ。でも実際にはそうはいかない。特別でもなく何か成し遂げたり残したりできない自分を「最悪」とするのは、過激に挑発するアクセルのコミック同様に、本人の現実そのものじゃないから。ほんとは最悪にもなれない。
なので最後にリアクションのカットを撮影するあの女優はユリヤでもあり、それを第三者として見る、撮る彼女は相応しい場所にいることになるんだろう。結局ユリヤには選択肢が色々あっても最高を選べなかった。
そんなものかもしれないけど、これが若い女性のリアルかといえば、ちょっと感覚が古い気がする。たぶんヨアヒム・トリアーはアクセル世代に近いし、彼のエピソードの方が情けない部分にも実感が込もってて、むしろドラマティックな一人称。しかも彼は人生選択の余地を失うが、自分にとって「生涯の恋人」を見つける。対してユリヤは後悔先に立たずみたいで、いささか年寄りの説教じみて皮肉っぽいではないか(それこそマンスプレイニング?)。
目紛しく多彩な顔を見せるレナーテ・レインスヴェは良いし、パーティで代わる代わるコートを取りに来る場面は面白かったのだが、もっとグイグイいくロマコメを期待したんで色々と煮え切らず。
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