耶馬英彦

エッフェル塔~創造者の愛~の耶馬英彦のレビュー・感想・評価

4.0
 人々の役に立つものを安全第一で作り上げる。それが建設技師であるギュスターヴ・エッフェル社長の揺るぎない信念だ。実用的であったり、象徴的であったりする建設物は、おのずから人々を集める。様々な経済効果をもたらし、周辺地域は栄える。街道沿いや城の周囲には必ず町ができるのだ。エッフェル塔もまた、人々に愛され、多くの来場者が押し寄せるだろう。

 歴史的な建造物の建設と恋愛物語が同時進行する。時は19世紀。18世紀終盤からの革命、共和制や王政、帝政などの目まぐるしい政変を経て、普仏戦争でプロイセンと和議が成立して第三共和政が成立すると、パリは少し落ち着いた。
 風俗的には、フランス革命以降のキリスト教の影響が強い。革命の主体となったのは、貴族でも農民でもない市民である。商業や工業で財を成し、キリスト教の教義を規範としていた。王政時代の社交界の奔放な恋愛事情は否定され、妻が夫の所有物と看做されるなど、女性の地位が貶められている。当然だが、離婚も不倫のタブーである。
 皮肉な話だが、19世紀のフランス文学の多くが不倫を扱っている。もともと恋愛は婚姻とは無関係だった。禁じられるとなおさら燃えるというのが世の習いである。本作品はアドリエンヌが人妻だったからこその物語だ。
 現代のフランスは女性の地位が再び向上し、恋愛至上主義が蘇りつつある。少なくとも日本と違って他人の恋愛に寛容だ。不倫が実はかつての純愛の再燃だったという話は、いまの時代なら、もしかしたら美談になるかもしれない。

 19世紀のヨーロッパ人は精力的で、橋梁や駅舎、記念碑など新しい建設物を次々に建立した。その一翼を担ったのが優れた技師であるエッフェルである。フランスからアメリカに贈られたニューヨークの自由の女神の骨組みを担当したことは作品中に紹介されている通りだ。
 しかし政情が安定したとは言え、アルザス、ロレーヌ地方をプロイセンに譲渡して、フランスの財政はそれほど豊かではない。国もパリ市も同じだ。エッフェル塔建設にあたっても、補助金を出すだけで、建設費用の多くはエッフェル社が負担した。そして作品で紹介されている通り、エッフェル塔の建設は決して順風満帆ではなかった。

 本作品は歴史上の人物をモデルにしたフィクションである。とてもよく出来ている。特にアドリエンヌを登場させたことが秀逸だ。ギュスターヴの誠実な人柄と情熱を愛したアドリエンヌ。難航するエッフェル塔建設に直面する彼を、何が精神的に支えたのか、上手に考察してみせている。
 ストライキに反対運動に金策の難航、それに恋愛のすれ違いと、苦しい日々の連続だが、それでも労働者を励まして、26ヶ月という驚異的な早さで竣工を迎える。エッフェル社長の精神的なタフネスぶりに感心したが、考えてみれば、アドリエンヌの存在がエッフェル塔建設のモチベーションとなっていた可能性は大いにある。塔の建設が恋愛を励まし、恋愛が塔の建設を励ますという両輪が、エッフェル社長を支えていたのではないか。
好色な人間は信用できるという下世話な話を思い出した。エッフェル社長は好色ではないが、恋愛に前向きだ。それだけ人間としてのエネルギーに満ちているということなのだろう。不倫を非難する後ろ向きの精神性は、文字通り建設的ではない。ゴシップ記者にお似合いだ。
耶馬英彦

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