keith中村

スイートガールのkeith中村のレビュー・感想・評価

スイートガール(2021年製作の映画)
5.0
 今年のNetflixは馬鹿みたいな数の新作をリリースしてて、その中には、「あ~、ね。ま、こんなもんでしょう」という作品もあるんだけれど、これは個人的にかなりの拾い物でした。
 何を書いてもネタバレになるので、いっそネタバレ全開にします。本作が気になっている方は、これを読まずに本篇をご覧ください。
 
 「DUNE」でも精彩を放っていたモモちゃんの主演作。あ、私、ジェイソン・モモアのことをモモちゃんと言ってます。
 ミスリード系娯楽作品としては、文句なしの脚本。
 そもそも役者として勢いに乗ってきたモモちゃんが主演というところが、本作のミスリードを疑いもなく信じてしまうことに貢献している。
 タイトルの「SWEET GIRL」も、違和感があるんだけれど、「ま、観終わったらわかるんだろうな」と結構スルーしてしまう。観終わったらどころか、第二幕のラストであんなびっくりする形でわかるところが本作最大の山場。
 
 第一幕の最後は、「シックス・センス」ですよね。
 「結構な大怪我に見えたけど、主役だから命を取り留めたのね」と思い込んでしまう。
 本作は、心霊ものか多重人格ものかの違いがあるだけで、骨格は「シックス・センス」とまったく同じなんですね。
 
 本作が優秀なのは、観返すとわかるけれど、ものすごくフェアに作ってある。
 初見では、いくつもある「ちょっと違和感を感じる」ポイントが、二度見るとかなり直球勝負でヒントになっているのです。
 二度目は「あ、そうか~。そこまで攻めてたんだな」と思う。
 こういう脚本ってかなり難しいと思います。作り手は当然全部把握してるから、「どんな情報をどこまで提示するか」に悩むわけですよね。で、客のほうが早く気づくことにビビって、情報を少なくしたくなる。もしくは情報を歪ませて提示したくなる。でも、それだとかなりアンフェアな映画になってしまう。
 アート系ならそれでもいいんです。「DUNE」観たところなんで、またドゥニさんを引き合いに出すけど、「複製された男」なんて、最後まで観ても意味がわからない人がいるだろう。あるいは、「DUNE」つながりで、デヴィッド・リンチの「マルホランド・ドライブ」もそう。
 あ、リンチさん。「DUNE」レビューではディスりまくってごめんね。ほかの作品は全部大好物ですよ!
 
 でも、本作は娯楽作品。
 きっちり勝負しないと客は納得しない。
 第二幕はそこがとにかく見事。
 レイチェルちゃんのトレーニング・シーンから始まって、テレビを見てる。
 モモちゃんがやってきて、「また見てるのか」「私じゃない。パパが見てるんでしょ」。
 ここの台詞がもう早くも同一視のほのめかし。
 
 パーティ潜入シーンで、モモちゃんが女性用のユニフォームを物色するところもかなり攻めてるけど、カットが変わるんで、「あ、別のラックに移動したのね」と勝手に思い込んでしまう。「そんな髭面のウェイターは目立つだろ」も映画のご都合主義と解釈しちゃう。
 生き残ったセキュリティの証言も、逸らし方がいい。人称代名詞をHeかSheかで特定しないといけないところを、「Whoever it was」とうまく逃げてる。
 本作では、そういうところがいちいち上手い。FBI側のやりとりでもHe/SheもRay/Rachelも特定されず、ずっと"Cooper"が使われる。これも、容疑者を苗字で呼ぶのは自然なことなので、気にならないんですね。
 
 サラさんがずっとレイチェルに執着してるのも、普通なら違和感ありありなんだけど、FBI視点の序盤でまずモモちゃんの情報が提示されるので、「暴走する父親に同行している可哀想な女の子に、女性捜査官が同情している」だけにしか見えない。
 「You are in control」もやっぱり違和感があるし、正直、瞬間的には「多重人格者の主人格に話しかけてるみたいな言い方だな」と、キワキワまで思い至ったのに、本作がそうであることにはまったく想像が及びませんでした。
 思えば、電話のシーンで結構話し込んでるのにモモちゃんにバレないのも不自然だし、第二幕冒頭のレイチェルのトレーニング・シーンは明らかに「チェーホフの銃」なのに、その後全然活かされないところも気になってた。
 
 ダイナーでも二か所かな。
 まずはウェイトレスの、「Something for you, darling?」。モモちゃんみたいなむさくるしいオッサンに初対面で"darling"はないですよ。ここは攻めてる。(←気づけなかった癖に偉そう)
 殺し屋が、最後にレイチェルに話しかけるのも、「ん?」とは思った。
 
 第二幕終盤の逃走も、「レイチェルいない?」ってなりましたけど、「一方その頃レイチェルは」と、そのうちクロスカッティングされるんだろうな、くらいの気持ちでした。
 というか、その後のスタジアムでのサラさんのネタバレ台詞。
 そこに至っても、最初の数秒は、「ああ。モモちゃん。列車で娘さんまで失ってたんだ。で、おかしくなっちゃって、娘の人格になっちゃったんだ。だからタイトルが『スイートガール』だったのか。泣けるよなあ」などと正反対の解釈をしちゃいました。
 
 「チェーホフの銃」であるところの、レイチェルのトレーニングは第三幕で発揮されるのでしたね。
 っていうか、第二幕から全部そうだったわけだけど。騙されたわ~!
 
 私のようにスレた映画ファンはタチが悪いもので、自分の感じた違和感を、結構「演出が下手なんだろうな」と上から目線に解釈しちゃうのですよ。
 だから、それと正反対に監督の掌の上で泳がされてた自分に気づいた瞬間、「すげえ! 最高!」ってなる。
 本作はまさにそれ。
 まあ、面白かったわ。
 
 ええと、この感覚、何かに似てるな。
 あっ、あれだ。
「舐めてた相手が、実は殺人マシーンでした映画」だわ。
 本作は、「舐めてた映画が、実はウェルメイドな作品でした」。
 
 本作は年間ベストに入るような作品では決してないし、何カ月か後にはコロっと忘れてしまうかもしれない。
 でもだからこそ、次に同工異曲を観た時も、まんまと騙されるだろうと思う。
 この手の作品って、記憶にいつまでも残る「決定版」になっちゃいけないんです。だって、そうなると後のフォロアーが全部パクリに見えちゃうから。
 そうじゃなく、うっすらと記憶に残るんだけれど、思い出せないレベルがいい。それなら、何作観ても全部楽しめるから。
 本作でも言ってました。「過去は夢のようなものだ。イメージと感覚のモザイク」
 この台詞はまさの本作の絶妙な匙加減を自己言及してるんじゃないでしょうか。