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自画像:47KMのおとぎ話
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『自画像:47KMのおとぎ話』に投稿された感想・評価

✔『自画像:47KMのおとぎ話』(4.0p)『自画像:47KMの窓』(3.5p)『Odoriko』(3.9p)▶️▶️

 ヤマガタは、1回目からその存在·話題ぶりを知ってたが、初めて泊りがけ(山形迄泊りがけでないと、観れないが)で行ったは3年前が初めて。その時空き時間に全く期待しないで観て、全くそのフレンドリーさ、自由な抽象性、魅力的な地域·地方性に魅了されたのが、生まれというより家系の出自の故郷(作者が目印距離まで47KMと勝手に命名)をエッセイ的に連作してた、2010年代のシリーズの一本『スフィンクス』(’17)だった。その後の2本を今回観る。『スフィンクス』の、問いかけ·感慨や透明抽象的美術性が『窓』に行き、開放感·こだわりなさ·生の感触の単純性が『おとぎ話』に結晶してるようだ。 
 その『おとぎ話』は、前作迄の寂寥感が薄まり、年配の村人は、メインの村の(女の)子たちの開花の可能性を、サポートしたり·感化されてく地位に、拡がりの現実に杭打ってく端部の場にシフトしている。6歳の時に知り合い10年、今や作者の分身·或いは同格の作者たりえんとしている、方紅の、表情·肢体·ポーズ·動き回りの表すものは、これまでの作の過去と未来への不安の影を払拭し、未到達の全く新しい世界を、村だけでなく我々にも掴むヒントを与えてくれる。口上の繰返し、映像操作による現れ消え、ジャンプカット、創作する手一点でなく全身が表す創作行為、らが、数人の少女たちに、男の子ら、年配の女性ら、そして作者自身を加え、バランス·リズム·継承に映画の形を発展させてく。そこでは、『イマジン』の歌詞や歌唱、スケッチや絵画を描く事やビデオカメラの撮影·上映の表現、が方紅を軸として、学習されてゆき、当の方紅は出稼ぎに行ってる姉との·今も1人で暮らす小屋の決して立派では言えず、残ってる窓辺ガラスも少なく·雨風やネズミ対策のビニールで最近父によって包まれたばかりの中、薄暗く壊れた物も多い私物·記念の物を探り確認してく。それには、自らホールドや三脚も買って貰ってる、カメラを介して行う。しかし、全篇何人もの女の子による撮影が行われていながら、その作品としての完成品ばかりが、撮る行為と撮ってる映像のカットバックは、ごく限られてる(試行錯誤中は示されても)。映像作りとは、安易に鋳型など出来無いものなのだ。
  そして、作者はこの10年、一年の半ばを過ごすこの地の棲家はそれなりに心地いい伯父伯母のいた狭い家だったが、編集や制作をここでも快調に出来、併せて皆の集会場·遊びや憩いの場ともなる、施設を村の端の丘に作り始め(、その過程·勢いが作品の縦糸になってるが)、明らかに本人よりも方紅ら村の少女らの係わりウエートが成長の伸びとして増してくる(様々に形を変えての小さな女の子の建設宣言·口上の大声·身振りのあり方の繰返すうちの豊穣化·自己目的化に併せ)が、その半落成の夜の壁への自在な映写、そして方紅自身の顔大写に撮った映像が被る·何重にもの場面で、少女たちは正確に合った表現の場、さらなる予感·未来への感覚を得てくのだ。丘から村を対象化して、見れてく。
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 楽天的に見えなくもない『おとぎ話』に対し、前作の『窓』は、政治·歴史、象徴的幻想表現、もしっかりポジション持って踏まえられてて、より見事な作品ではある。あちこちの老人たちの肖像画を描いて回る方紅の手元·ペン先のCUの押さえ、光の射し方や壁床の質感の中の老人の佇まいと人間性、そしてビニールをくぐもらせ何枚も渡した方紅の部屋での彼女の身体表現、「窓となる夢」の希求の姿の美が、幻想的に描かれるアート昇華、がかなりキッチリ、出口を感じさせても組み合わさっている。そして冒頭、更に前作でも捉えられた赤レンガ家屋に書かれた標語を巡り、「社会主義とは」「開放とは」「それらは今救ってくれるものなのか」「村は、人が少なすぎて、これからはどうなるのか」との方紅との会話は、彼女が最初にスケッチで訪ねた1933年生まれの老人の年代記の、何回にも分けての話し語りに対応してゆく。国民党時代の飢饉で貧しく養子に、そこからもまた養子要員に、その間、乞食までするも、共産党政権となり、地主の土地と道具分配に。地主に悪くて返そうとも。「大躍進」「人民公社」で村に製鉄所作りで、他村リードも大怪我負う。(飢饉等招く間、療養もそこそこに)復帰後、すすんで「文革」を推し進め·裏切り告発·自己批判強要等で、党員となり、無学ままも、村代表に。毛沢東死すのショック。華国鋒はともかく、「改革開放」成しても鄧小平理は小者。地位上下も長く村の委員に。身体は弱ってきたが、毛沢東とその導きには感謝。ひきあげられ、社会主義から共産主義へとさらなる本当の発展成るか。
 善良な老人たが、今も毛沢東拭えぬ歪みも抱えた侭。ラストは村人らは、疑いは持たずも、寂寥感も残る中、花火に興じる姿。それでも老人らと子供らの交流に、隙間はない。
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 次いでの作『Odo~』を、居残り観たのは、前日K’sシネマで、「上映直前に来て、混んでそうな作品ってあるます?」と聞くと「次の回、これからやる作品くらいですかねぇ」と本作の海外版を挙げられたので、気になってたからだ。
 紛いもない、真の礼節があり、親しみ通う、傑作だった。ちと驚く。対象への心遣いと敬意、近年稀に見る正に気品の傑作だ。佐藤真門下の作家と後で聞いて合点がいった。全編固定カット、35みたいに艶あるが実はミニDV撮り作。短い館内階段仰俯瞰部分·通りの雑踏や鳥たちのカット挟みから、メイン長めの、背面や下半身中心にフレームに出入り·やや曇った鏡に向き合う·カット、さり気なくも渾身を伝える赤青照明包むステージ捉え盛上がり圧巻、親しみと礼節とユーモアに満ちた会話シーン、全てが、劣化した施設すら輝かす気高さ·敬いに充ちて、自然と世界への姿勢を教えてくる。僅かの難点は、優し丁寧すぎる面で、顔を正面め捉えには、ハリウッド並に紗をかけるとか、真俯瞰め退きショットの分かりやすさだ、稀の事だが。
 閉館がこの時点でもう近いのか、全国あちこちのストリップ劇場を踊子たちが廻り戻る流れの中、広島の第一劇場がかなりの割合で出てくる。繰り返される、表·ステージ·楽屋·流し·風呂場·各廊下、取分け店入口辺りの受付?の風情が、なんともいい。職業や生き方への矜持·信頼がいくつも、赤い風船の様に舞い上ってく。決して饒舌ではないが、人の情が染み渡る。礼儀·茶目っ気·阿吽·プロ意識···何となく安孫子素雄の書いた『トキワ荘日記』みたいだ。出し抜こうなんて気は誰にも、微塵もない。神代映画とは違うわな。
 「姉さんとも呼び難い天上の人に、口をきいてもらうまて、何年も。それから本当に大事な事を教わった」「自信をなくしたのもお客さんの野次から、立ち直ったのもお客様から。教えられた」「何時も寝てる人が、今日は違ったよ」「今の世、求められるはコンビニ弁当。それでも本当の仕出しを、本物を踊ってる」「一般的にヒモ·ヤクザの存在を想起される。独り立ちし·それは違うと。トライアスロンも併せやってて、そっちの方ではもっとも気安く呼ばれてる」「ここでは楽屋でもどこでも普通に裸。でも、職業を離れると普通に恥じらいはある」まさに本物の宝石の様な映画。『47KM』がこの上なく大事な澄みきった空気なら。
美しかったぁ、、
監督の話も含めてすごい良かったことを思い出した

『自画像:47KMのおとぎ話』に似ている作品

ばちらぬん

上映日:

2022年05月07日

製作国:

上映時間:

61分
3.6

あらすじ

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製作国:

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