ろう者の両親のもとで育ったイギル・ボラさんは、そのご両親を描いた『きらめく拍手の音』が素敵だった若い映像作家。
それを踏まえて映画館へ。
まず新鮮だったのは、彼女の両親と同じ、ろうの「目撃者」を事件目撃の最初の語り手に置いた構成。こうした「オーラルヒストリー」映画は初めて見たかも。
地雷によって視力を失った女性の語りにも力があった。
韓国というと儒教的な先祖供養「チェサ」をイメージするけれど、実は仏教はキリスト教に次ぐ二番目の宗教勢力だそうな。そこと、ベトナム小乗仏教の間の宗教=僧侶を媒介とした問題提起がもっとあるのかと思ったけど、その辺りは「風景」的にしか触れられていなかった。
一方で、撮り手の関心は「市民法廷」。2000年に東京で開かれた「日本軍「慰安婦」制度を裁く女性国際戦犯法廷」という市民法廷「イベント」を下敷きにした「ベトナム戦争時期の韓国軍による民間人虐殺の真相究明のための市民平和法廷」=「ベトナム市民平和法廷」を「結論」とした構成になっている。
そもそも、この「ベトナム市民平和法廷」は二日間の「審議」で「結審」しており、その結果にアジテーション以上のどれだけの意味があるのか疑問。なんか、この手のイベントって総じて胡散臭い。
イギル・ボラさんのアイデンティティと、この映画には親和性が感じられませんでした。