あすか

笑いのカイブツのあすかのレビュー・感想・評価

笑いのカイブツ(2023年製作の映画)
3.9
多分この映画を観た人の過半数はイマイチ分からないままモヤモヤした感じで観終わりそうな気がします。
でもその他の大体2割くらいには刺さり、そのまた1割には心の救いとなるような映画に感じます。


"人間関係不得意"
主人公のツチヤタカユキのキャラクターを表す言葉であり、劇中でも使われてます。

伝説のハガキ職人ツチヤタカユキの同名私小説を岡山天音さん主演で映画化した作品。

岡山天音さんの怪演、すごいです。。
存じ上げていた俳優さんではあったけどなんだかんだしっかりと演技を見るのは初めてでした。だからかすんなり役にも入り込めました。


タイトル通りお笑いや漫才も扱ってたりするから結構笑える作品なのかと思ったら、想像以上に苦しく意外にも深い映画でした。

俺も本当は過半数の人たちと同じように、観た後暗くてつまらなかったと言えるような人間でいたかったです。絶対そっちのほうが幸せだと思うし。
その他の2割でいたくなかった、

いつからかな..人生しんどいって思い始めたのは。


これまでの人生を省みてみても、いわゆる学校、習い事などのコミュニティ内での人間関係は得意な方でした。

保育園、小、中、高通して友達は常に多かったし、かと言って別に浅くもない、広く深くの関係が築けていました。保育園、小、中に関しては、ほぼ全てのコミュニティと仲が良かった気がします。10代の前半ぐらいは人と会うのが大好きで毎日家に誰かを呼んでゲームやサッカーをしていました。
保育園の時は生徒全員を家に招いたり、小学校の時は誕生日に友達を20人くらいさして広くもない家に呼んで誕生日会を行ったりもしてました。
習い事もサッカー(学校以外でクラブチームも)、塾、トランペット、絵画教室、ギター、空手、など色々やらされていて、どこのコミュニティでもメンバーが大好きだったので仲良くやれていました。

依存先が多かったからか当時はあまり孤独というのが分かりませんでした。遊びに習い事にと、今考えると超忙しかった日々も当時は大して苦じゃなかったように感じます。


でもなぜか、年齢を重ねるにつれ日に日に生きづらさが増していきました。

明確なターニングポイントは分からないけどじわじわとしんどく感じることが多くなってきました。

友達と会うのは楽しいし、新たな出会いや趣味だって増えていったのに苦悩のインフレが全然収まりませんでした。
そしてそんなことを考えてるうちに気づけば20歳。

成人式シーズン、数年ぶりの友達と会話をしたりして確かにすごく楽しかったしノスタルジックな気分にはなれた。でも当時の自分自身の感覚には戻れませんでした。

再会して空騒ぎ的に盛り上がることはあれど、当時の思い出の中の彼らと今の彼らは明確に違う。そして当時の俺と今の俺も違う。
もう当時の自分自身がよく分からなくなってました。
なんだかそれが悲しかったです。

"幸せがよく分からない。だけど不幸は明確に分かる。きっと幸せは不幸でないこと全部だ"

俺の好きなミュージシャンが言ってた言葉です。

昔であればこの言葉はよく分からなかったと思います。美化されているだけなのかもしれないけど、当時はたしかにその一瞬一瞬の刹那的な幸せも噛み締められていたので。でも今はこの言葉はよく理解できます。

いつからか、その刹那的な幸せよりも目の前の不幸や過去のしがらみについてばかり考えるようになってました。
悪い意味でその時その時に向き合うので精一杯で、享受できていたはずの幸せに目を向けられなかったんだと思います。

その数年間の過程でたくさんの別れがありました。

クラス替えや習い事など予期していたものもあれば、恩師や家族の死別など突然のものもありました。

その度心がすり減っていきました。


そんな昨日の深夜、祖父が死にました。今際の際には立ち会えず、0時きっかりの訃報でした。

もう一方の祖父母も高齢で今は元気そうだけど年齢的に別れが近いです。
これからもいろんな人との出会いと別れを繰り返していく、すごい普遍的で当たり前のことなんだけど、やはり寂しいものです。

しんどいことは増えてくのに、大切な人や思い出はいなくなってしまう。

なのに苦悩のインフレは止まらず、未だに過去のしがらみや肥大化していく自意識、将来への不安なんかと向き合わなきゃいけない。

周りは器用な友達ばっかなんでみんな楽しそうで羨ましく感じてしまいます。

これからもこれが続くのかと思うと正直生きる指針が分かりません。
将来への不安感から志した海外への正規留学も、苦手なくせにしている英語の資格試験の勉強も、とてつもなく大変であろう海外生活も、ずっと目指し続けてる将来の夢も。。(実は漫画家を目指してます)
どうでもいいとさえ思ってしまうほど心ががんじがらめになってるんだと思います。


まぁここまで映画とはなんら関係ない自分の話をだらだら駄文長文連ねて書いてきましたけど、まぁ気分的にはどん底限界な状態だったからこそ、この映画は刺さりたくなかったけど、めちゃくちゃ刺さりました。

周りのように上手く生きれない、人と上手く関わることができない、極端な偏りでもって培われたお笑いのセンス、才能を行使して目指した夢にさえ理想と現実のギャップで苦しめられる。劇中で映される光景はこの繰り返し。客観的に見てもすごく苦しい。俺には主人公ツチヤのような才能がないから同情するのも烏滸がましいのかもしれないけど、気持ちは痛いほど分かりました。

正直今は精神的に全く幸せとは言えません。不幸が目に見えて分かるから。トラウマや過去のしがらみ、焦りや将来の夢、ルサンチマンで心の傷が開くから。

そんなもんと向き合い続けてきたこの数年間に俺はまだ意味を見出せていません。きっとこれからもそれに時間と心を浪費し苦しみ続けるんだと思います。

でもいつかそれが何かの教訓や肥やしになるように、その時の傷みでもって誰かに寄り添えれるように、今はただ向き合い続けるしかない。それで限界がきて燃え尽きるならそれまでです。

ただそれまではどれだけ惨めで苦しくても生きていくしかないですね。


『この地獄で生きろや』
劇中で菅田将暉の役が泣き叫ぶツチヤに放ったこのセリフがすごく印象的でした。

一見突き放してるようだけど、悩み悶え苦しみ続けてきたツチヤの人生をまるっと肯定してくれるような、そんな儚くも優しさのあるセリフに感じました。

人生の目的は言ってしまえば自らが幸せになることだとは思います。それに越したことはありません。

だけど自分が自分であることで悩み、嘆き苦しむこともまた、自らの生を全うしているような気がします。

ツチヤの生き様を通してたしかにそれを感じれました。

ツチヤにもこの感覚にも、イマイチ共感できない人のほうが多いだろうしそっちのほうが健全だとすら思います。
でも自意識に苦しみ続けた人間からすれば、劇薬ではあるけれど誰かの心の"救い"になり得る、そんな作品だと感じました。
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