さすらいの雑魚

笑いのカイブツのさすらいの雑魚のレビュー・感想・評価

笑いのカイブツ(2023年製作の映画)
4.0
こんな風に生きてみたかったな。
岡山天音が演ずるツチヤタカユキの、笑いに生きて、笑いに殺されて、それでも笑いに憑かれ、活かされ……。
そんな激烈な青春賦は、私がこのように生きて死にたいと願った、生き様そのもの。
複雑系のもつれ上がった世界を、独善で一刀両断する、徹底的に単機能で融通性の皆無な存在。例えるなら落雷や暴風雨みたいに、ハタ迷惑な自然現象のような生のカタチ。
ゼネラリストの極みみたいな仕事して世間に過剰適応し、融通が利きまくる骨無しコンニャク野郎な私からは程遠い、憧れのカタチ。

劇中のツチヤの基本性能は重度のコミュ症。
それでも狂的な研鑽で磨き上げたセンスを武器に放送作家として世に出る。
だがコミュ症なツチヤである。チームプレイと人間関係重視の番組制作現場で悪戦苦闘して苦しむことに。ツチヤは、抱え込んだストレスをアルコールで押し潰しながら狂信的なまでの努力を続ける。
普通の人たちの、普通加減や普通の気配りが決定的に不得意なツチヤ。
ボクらから見ればあたりまえレベルの理不尽やちょっとした意地悪に耐え難い苦痛を覚えるツチヤ。
それでもツチヤは血尿と血便を絞り出しながら、己の信じる『おもしろい』で一点突破を試みる。
そして潰れる。

心身共にぶっ壊れたツチヤが、数少ない理解者の元を去る際にスマホで示した『人間関係不得意』の文字が少し滲んて見えたけど、あれが映像演出の特殊効果なのか、我が眼に滲む心の汗なのか、いまとなってはボクにもわからない。
仲野太賀が熱演するツチヤの理解者で売れっ子芸人(どうやらオードリー若林がモデルらしい)が、去るツチヤに「おまえココでしか生きていけないぞ」と、ぶつける喉も裂けろとの叫びが、ボクの臓腑の深いところに刺さって今も抜けない。

逃げるように大阪に戻ったツチヤが、アルコールに溺れ錯乱しながら世間を呪い、自傷しながら慟哭するのを、親友役の菅田将暉が労りながら囁く悪魔的なまでに甘く残酷な科白は、この作品全体の解題なのでしょう。
ツチヤが呪う世間、ツチヤを疎外する普通で当たり前の人々こそが、ツチヤが笑いを届ける相手、癒したいと願う人々だろと、喝破する菅田将暉の眼差し。それは地獄だと呟きながら、それでもツチヤには、その地獄に居て欲しいと語りかけ、そっとツチヤの背に添えた菅田将暉の白く長く過剰にセクシーな手指。

地獄の底で咲く花もある。そういう事なのでしょう。
あるいは、天国でも地獄でも、お前がやる事は一つしかない。だろ?と、ツチヤに引導をわたしているのかも知れません。

母親役の片岡礼子や仲野太賀って芸達者なザ役者に、誰もが認める当代屈指の人気者で、これまたザ主演俳優な菅田将暉を脇に従えて、彼等を圧倒する、岡山天音の存在感と熱演が本作の見所かと。

個人的にはヴィレヴァンって、ヴィレッジヴァンガードが舞台のお仕事系深夜ドラマで知って以来追ってて、凄腕の俳優とは思ってましたが、ついに大化けしたなぁ……って感じなのです。