イホウジン

ゴッドファーザーPART IIIのイホウジンのレビュー・感想・評価

ゴッドファーザーPART III(1990年製作の映画)
4.0
全てはあのラストのために

とにかく今作のマイケルは不憫で仕方がない。パート2のビジネスパートナーとしてのファミリーという考え方の不一致から一転して、今作ではそれの理解が進んだ反面ファミリーの中で相互不信が生まれてしまった。ある意味ではマイケルの考え方に時代が追いついた訳だが、それ以上にマフィアとして失ったものが大きかった。旧来の家族的な信頼関係が崩壊し、代わりに生まれたのは利己的で薄情な新世代のマフィアで、彼らにとってはパート2とは逆に、マイケルの昔ながらの家族的な制度の上に立つマフィアというものが理解されなかった。時代に先走っていたつもりが、知らぬ間に時代から道を踏み外してしまったようだ。
今作では今まで以上にマイケルの心情が丁寧に描かれている。これまでがファミリーの物語であったのに対し、今作は完全にマイケルの物語である。ストーリー自体はマイケルの終活のようなもので、自身も「どう人生に区切りをつけるか」を懸命に模索しているように見えた。光が強く当たる分影もまた濃くなっていった彼の生涯がピークに達し、そのジレンマのストレスに自身も徐々に耐えられなくなっていく。その時救いの手を差し伸べてくれたのが、パート1のような原初的な家族の絆である。前作でほぼ完全に崩壊した家族の信頼関係は、マイケルが自分の罪を認めていく中で徐々に修復されていき、最終的にはオペラやダンスなどの文化的な活動を通して取り戻すことができた。マフィアの在り方を変えようとした結果、最終的には元の地点に立ち返ったのはなかなかに皮肉である。マイケルの優しさも垣間見えて、過去作以上に思いも寄せやすい。
そんなハートウォームな展開からの急転直下なラストはやはり見物である。冷めた見方をしてしまえばファミリーのドンとしての一連の出来事に対する天罰と解釈することもできるが、これはそう単純な問題ではない。パート2における人間関係の変化の一因に当時のアメリカの変節があるように、あの出来事の全責任をマイケルに負わせるのはあまりにもナンセンスだからだ。人間誰しもが善悪の感情を持っているが、ビジネスパートナーのような競争社会においてはどうしても相手の“悪”の部分を探しがちだ。あのファミリーにおいてそうした関係を先導したのはマイケルに他ならないが、事業の拡大と成功のための関係性は、かつてのような家族間の相互の幸福を失ってしまった。競争社会の宿命とも言えるあのラストは、資本主義社会の虚しさそのものであろう。

しかし、ストーリーそれ自体はパート1,2に見劣りしてしまう。結末ありきの構成だったので仕方がないのかもしれないが、単発の出来事ばかりの展開で幅広い解釈を楽しむような深みには入れなかった。出来事もラスト以外はあまり鮮烈なものでもないし、むしろ単調である。過去の回想も多かったが、あそこまで露骨に映像にしてしまうと、クオリティがファンムービー程度にまで下がってしまうようにも思えた。
イホウジン

イホウジン