Mariko

オッペンハイマーのMarikoのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
5.0
脳をフル回転させても追いつかない濃密な3時間。凄い。
『ダンケルク』を初めて観た時、全容はまだ理解できてないけどとにかく凄くて、、スコアなんてつけられない、だったのだけど、その後繰り返し観て迷わず☆5に。その時と同じ感触があるので、全容は理解できていないにも関わらずの☆5。

構成としては、オッペンハイマーの回想、オッペンハイマーが赤狩りに巻き込まれて出席させられた聴聞会(タイトルは「核分裂」)、そしてストローズ(Strauss)の商務長官指名に関連した公聴会(タイトルは「核融合」)、とそれぞれ別のパートとして話が進んでいくのだけれど、前者2つはカラー、最後者はモノクロ、ときっちり分けられていることもあって、ノーランの時系列シャッフルに慣れている人にとっては「その面では」わかりやすい方の部類ではないかと感じた。それでも、この両者が後半に行くにつれてどんどんリンクされていく感じはまさにノーランの真骨頂。

それよりも、第二次大戦、その後の冷戦、アメリカにおける共産党(赤狩り)くらいの最低限の社会的常識は必須なので、それがないと何を観ているのかわからない可能性が高いのと、とにかく登場人物が多いので、事前のある程度の知識がないと細部にまでは理解が及ばない、というところはあるかな。ただしこれは完全に観る側の問題ね。ちなみに登場人物はおそろしく多いけれど、キャラ分け(というか顔)が明確にされているので、名前だけの言及の時に「それってどの人だっけ?」と考える瞬間はあるのだけど、意外と理解しやすかった。なんとか委員会(日本のどこに原爆を落とすか決める?会議)にいた人々はほとんど名前すら出てこなかったので、この人たちは誰?とは思ったけど。
ただ、いずれにしても政治的背景(それぞれの政治思想)はもっときっちり理解して観た方がよかったかな、とは思った。(ので、もう少し学習してから再度観に行くつもり)

どの場面にも全てものすごく意味があるのだけど、中でもいちばん印象的だったのは広島長崎への原爆投下を称賛し歓喜する民衆とオッペンハイマーの幻想のシーン。一般的に、何かを目指して研究と実験を続け、その結果が成功した場面というのはカタルシスに包まれるものだけれど、アメリカの一般国民がオッペンハイマーを称えているその瞬間にオッペンハイマー自身はカタルシスとは正反対のベクトルの呵責の念に襲われていき、その心中のイメージが現実にオーバーラップしていく場面を観て思わず唸った。原爆投下の瞬間や投下後の惨状を映像として見せるよりも、オッペンハイマーのその現状を直視することができないという心中を描くことが何よりもその途轍もない取り返しのつかなさが伝わるであろうから。これって、クリストファー・ノーランがイギリス人(というか非アメリカ人)であることも関係あるのかなあ。

音楽は、"TENET”に引き続きルドウィグ・ゴランソン。私はこの方はマンダロリアンとブラックパンサーで認識してしまったので、何かちょっと「お?」っていう要素をどうしても期待しがちなんだけど、そういう方向性は今作にはなかった。だからといって不足があるかというとそんなことは微塵もないのだけど、ちょっとハンス・ジマー路線だな、とは思ってしまった。『ダンケルク』でハンス・ジマーさまが言ってた、緊張感を高めるために、同じ"弦の高音"を出すにもヴァイオリンじゃなくてチェロのA線の超ハイポジを使う、的手法が今作でも使われているように感じたから。繰り返しになるけれど、不満は全くない。

俳優陣はキリアンはじめ皆さん流石!のひとことだけど、強いてあげるならエミリー・ブラントの毅然とした態度に惚れ惚れしたのと、ゲイリー・オールドマンはチャーチルに続いて今度はトルーマンか!と思わず膝を打った。
近年でいちばん、なレベルで字幕を追うのに時間を費やしたので、次回はもう少し俳優の細かい表情も観たいな。
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