はぐれ

オッペンハイマーのはぐれのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
1.0
「罪を犯しておきながらそれに同情しろと言うの?」

これは不倫相手に自殺されてふさぎ込むオッペンハイマーが妻から言われるセリフだが、この言葉を監督のクリストファー・ノーランにそっくりそのまま返してやりたい。倫理観の欠如した原爆の父の苦悩なんて知ったこっちゃねーよ。

同じく今年のオスカー候補作であった『アメリカン・フィクション』に「白人達が求めているものは真実ではなく免罪符だ」というセリフがあったがまさしくそれを絵に描いたような言い訳だらけの内容。正直辟易する。

アカデミー賞の歴史なんてこれの繰り返し。結局白人達のマッチポンプ。自分達がベトナム戦争に参戦して現地の人々を殺しておきながら『ディア・ハンター』や『プラトーン』に賞をあげてアメリカも傷付いているんだぞってアピールしてみたり、アフリカ大陸から黒人達を無理矢理連行してきて奴隷にしたくせに『ドライビング・ミス・デイジー』や『グリーンブック』に賞をあげて友愛を気取ってみたり、被害者達が抱えている積年の怒りとのあまりの乖離ぶりに絶望してしまう。

今作の一番の罪はやはり広島や長崎を何万人亡くなったと数字でしか扱わなかったこと。監督のノーランが主人公の視点からでしか描かなかったから被爆の状況は描かなかったとインタビューで答えているが、いや、スクリーンに映写されて現地の報告を受ける場面があるからそれは静止画でも入れられただろ。興行的な成功を狙ったからなのか、白人富裕層の顔色をうかがったからなのか、念願のアカデミー賞を欲しかったからなのか知らないが意図的にその描写を省いたことは明らか。被爆者達にも当然それぞれ人生があり物語があるのにそんな彼らに人間性を一切与えずにただの統計的なデータとして処理してしまった理系バカのノーラン。結局、オッペンハイマーと同じ過ちを犯してしまっていることが悲しくて仕方がない。未来に対しての情けないほどの想像力の欠如。

今作を見て改めてノーランと比較されがちなスタンリー・キューブリックの偉大さを知る。彼の撮ったベトナム戦争を題材にした『フルメタル・ジャケット』は映画の全編では従軍をしたアメリカの若者達の過酷な実態を描いてはいるが、最後の最後には兵士達と戦っていたベトコンの正体が実は自分達よりも幼い現地の少女だったというオチで観客に強烈なインパクトを残しつつ、しっかりと被害者達にも人間性を持たせることに成功している。
また反核映画の金字塔である『博士の異常な愛情』ではオッペンハイマーのような泣き虫の言い訳は一切せずに、ストレンジラブ博士演じるピーター・セラーズに核のボタンを押したくて仕方がない異常者を演じさせ、科学者達の愚かさをブラックユーモアたっぷりに軽やかに描いてみせている。
それもこれもキューブリックが周りに流されない強い信条と信念を持ち合わせた真の表現者であったからこそ成し得たことだったんだなぁと改めて痛感する。
※ちなみに業界人に迎合しなかったキューブリックはアカデミー賞の監督賞も作品賞も受賞出来てはいない。これはある種の勲章だよね。

10年後はなぜオッペンハイマーなんかにオスカーをあげたのだろうと、2024年が黒歴史になっているような世界情勢になっていることを切に願う。
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