“La campana del infierno” aka “A Bell from Hell”。1973年の西/仏映画の米DVD。叔母の陰謀により精神病院送りになった男が仮退院して彼女とその三人の娘>>続きを読む
エマ・タミ『ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ』(24)。ホラー映画史に鑑みると詰めは甘いが、愛すべき良作。「1日目、2日目…」と字幕を入れるだけでも違っただろう(その点、原題をカタカナにしただけ>>続きを読む
内田英治原作/脚本/監督『マッチング』(24)。何をどう書いてもネタバレになるがこれだけは言いたい。いい加減にしろ。途中から笑わせに来てるなと見ていたら禁じ手発動。あ〜あ、色々諦めたな。まあ、予告編見>>続きを読む
菅原伸太郎『劇場版 君と世界が終わる日に FINAL』(24)。「◯んでくれ」と響を銃でバンバン撃ってた奴が、直後に「お前は生きろ」とか叫ぶので笑ってしまった。愁嘆場だけの安いメロドラマに終始。ゾンビ>>続きを読む
福田己津央『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』(24)。さ〜て今週の『機動戦士ガンダムSEED』は、「ラクス・クラインの浮気」、「キラ・ヤマト、嫉妬で暴走」、「結局、最後は皆◯し」の3本で〜す>>続きを読む
飯塚健『ある閉ざされた雪の山荘で』(24)。a.k.a. 「そして田所の強姦未遂の事実だけが残った」。あれを無かったことにした時点で本作のモラルは最低と知れる。空想描写とはいえ「山荘」が「閉ざされ」る>>続きを読む
https://note.com/jolly_llama821/n/n658cac4c1362
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久保茂昭『ゴールデンカムイ』(24)。「天から役目なしに降ろされたものはない」という宗教観に基づいているので、本作が「新しいもの」を全く呼込めなかったとしても仕方ない。かくて嘘くさいCG製「二百三高地>>続きを読む
ヴィム・ヴェンダース『PERFECT DAYS』(23)。これを評価できるのはトイレ掃除などしたことのない勝ち組の老人男性だけだろう。実際の便所はもっと汚くて切羽詰まったドラマを呼び込む場所だろうに。>>続きを読む
C・バック他『ウィッシュ』(23)。「鏡よ鏡よ鏡さん、この世で一番ハンサムなのはだあれ?」と「男の」魔法使い(王)が宣う。王の目下の敵は、彼が保管している民草たちの「夢」を奪い返そうとする平民の少女ア>>続きを読む
百瀬義行『屋根裏のラジャー』(23)。初日のIMAX最終回はガラガラ。原作ありの作品だが何を描きたいのかがよく分からなかった(結果、爆睡)。イッセー尾形を敵役に選んだのが最大の失敗。キャラクター設定も>>続きを読む
武内英樹『翔んで埼玉 琵琶湖より愛をこめて』(23)。ちょっと西のネタを全ては理解し切れなかったが、現在の大阪維新の政治と吉本をおちょくっている(とも取れる)ところは原作の批判精神を踏襲しているという>>続きを読む
舛田利雄『宇宙戦艦ヤマト』(77)。リバイバルに集う爺いども(俺もだけど)。何回見ても結末変わらんぞ(俺もだけど)。あと、お前ら、実在しない金髪女に憧れ過ぎの騙され過ぎ。デスラー隣にいるやんけ。古代だ>>続きを読む
P・キング『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』(23)。日本版予告がダメ(バートン版は見た目以外ほぼ関係なく寧ろ71年版に近い)。音楽も歌もダメ(もう全然覚えてない。ウンパールンパの歌は71年のも>>続きを読む
J=F・リシェ『ロスト・フライト』(22)。監督はフランス人か。主演のジェラルド・バトラーは基本的に一人相撲の人なので、操縦している旅客機が落雷で電気系統ダウンしても近くに空港がなくても軟着陸させられ>>続きを読む
N・アーンティル『バッド・デイ・ドライブ』(23)。『プレデターズ』(10)と『モーテル』(07)の監督だったか。人間不信が得意なテーマかな。主演のリーアム・ニーソンは基本的に一人相撲の人なので、車に>>続きを読む
三池崇史『怪物の木こり』(23)。孤児院出身者を主人公に据え、中世ヨーロッパ風世界を舞台とする、かつ「怪物」に纏わる絵本をモチーフとしている辺り、完全に作中絵本『なまえのないかいぶつ』を中心に話を作っ>>続きを読む
F・オゾン『私がやりました』(23)。原作は30年代の戯曲。女弁護士-被告(女優)の私生活上のコンビが裁判でもそれぞれ脚本/演出家-女優の立場を演じることとなる。とそこへサイレント期の女優(I・ユペー>>続きを読む
D・G・グリーン『エクソシスト 信じる者』(23)。『エクソシスト』(73)も『ハロウィン』(78)も本来「幽霊屋敷」映画だが、グリーンはそこには関心がない様だ。今作では「白人/黒人」の少女を一人ずつ>>続きを読む
深川栄洋『法廷遊戯』(23)。遊びに興ずるのは、ホモソーシャルからホモセクシャルの間を好きに行き来して悦に入る男たちだけだ。なんでお前らの遊びのツケを女が払わにゃならんのか。自分で責任取りやがれ。今の>>続きを読む
タカハタ秀太『アナログ』(23)。これは原作がダメなんでしょう(老人北野武のマッチョで自堕落な郷愁)。何も喋らず、全く自己主張せず、男の勝手な幻想に付き合ってくれる人形みたいな女がいたらなあ(『あの夏>>続きを読む
R・スコット『ナポレオン』(23)。主要メディアでの議論を聞くとフランスでの評価は散々だ。アントワネットの首切りをわざわざ2回もやる所に始まるミソジニー(ジョゼフィーヌの扱いも)、歴史的不正確性(+功>>続きを読む
岸善幸『正欲』(23)。「対物性愛者(objectophilie)」ものか。水が扇情的に映らなければ主人公らの欲望への共感は呼べない訳で、その点、余り上手くいっていない。とはいえクローネンバーグ風にも>>続きを読む
J・グリーンバウム『スラムドッグス』(23)。アメリカは俳優協会のストでもはや犬しか映画に出られないらしい。だがその犬も飼主に虐待されていたことに気づき人間への復讐を開始する。以降は下ネタに次ぐ下ネタ>>続きを読む
G・エドワーズ『ザ・クリエイター 創造者』(23)。英人監督により搾取されたアジア像の集積。サイボーグと化した東南アジアの人々がAIとの共生を選択している近未来(インドシナ戦争やベトナム戦争の影)。原>>続きを読む
北野武『首』(23)。ラストの「落ち」に向うこれは壮大な漫才で、「首」を巡る運動もひたすらそこを目指している。武は大島渚(『絞死刑』、『戦場〜』、『御法度』)の様には首に拘っていない。「首なんかどうだ>>続きを読む
N・ダコスタ『マーベルズ』(23)。宇宙を漂うキャプテン・マーベルの絶対的孤独。他のヒロインの登場は確かにそれを癒すが、彼女の能力の相対化をも促してしまう。かくて「女達」は一旦「交換(exchange>>続きを読む
藤井道人『攻殻機動隊 SAC_2045 最後の人間』(23)。Netflixの総集編後半。神山健治による押井守もどきの観念の入れ子構造(今だ必殺ミザナビーム!)はもうどうでもいいのだが、主人公らがアフ>>続きを読む
ユン・ジュンヒョン『トンソン荘事件の記録』(20)。韓国製ファウンド・フッテージ・ホラー。人物関係(憑依される者も含めて)が複雑で、夜の場面も多いので最後まで何が起っているかよく分からない。まあ、だか>>続きを読む
瑠東東一郎『Gメン』(23)。俳優達がお互いのアドリブ演技に、素でついつい笑ってしまう、みたいな場面の集積で下らないNG集映画を作るのは福田雄一監督だけにして下さい。出演者の皆さん、監督は選んだ方がい>>続きを読む
D・クローネンバーグ『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』(22)。話の筋は全く覚えていない。あの骸骨椅子、あれは、『モダン・タイムス』でチャップリンが座らされていた全自動マシーンの発展形なのか?いや>>続きを読む
『白石晃士の決して送ってこないで下さい』(23)。送られてきた映像に出てるのがウザいYouTuberの典型みたいな奴だなぁと見てたら本物の「貝柱」で爆笑。彼の映画紹介YouTubeはノイズが多くて見て>>続きを読む
山崎貴『ゴジラ- 1.0』(23)。アメリカ様には負けましたが、このゴジラ君なら何とか勝てそうだ。おめおめと戦争から生還しちゃったけど「役に立つ」ぞ!今度こそ、お国の「未来のため」に。これが僕ちゃんた>>続きを読む
永江二朗『リゾートバイト』(23)。かつてのホラー・クイーン(佐伯日菜子)の安易な出し方、主人公たちの素人同様の演技、突込み所満載の設定(十代のガキばかりが殺されてる島に3人の十代のガキがわざわざアル>>続きを読む
G・リッチー『オペレーション・フォーチュン』(23)。ハリウッド馬鹿俳優を演じているのがJ・ハートネットだと最後まで気付かなかった。いや、彼とH・グラントの演技合戦は素晴らしいんだが、リッチーはいつも>>続きを読む
石井裕也『愛にイナズマ』(23)。一見、松岡茉優演じるヒロインが目立っているようだが、その実、彼女は「ダメ男」(碌でもない父とか長男とか夫とか兄弟とか)を肯定するために存在しているに過ぎない。その陰で>>続きを読む