DONさんの映画レビュー・感想・評価 - 8ページ目

愛がなんだ(2018年製作の映画)

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自分の世界観に淫しているだけ。これで日本のホン・サンスとは聞いて呆れる。主人公の岸井ゆきのがなぜ成田凌にあれほど想いを寄せているのか、それを台詞として内面的に告白=説明させてはダメだろう。
段取りとあ
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メリッサ・マッカーシーinザ・ボス 世界で一番お金が好き!(2016年製作の映画)

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どぎつさの底にある寂しさと優しさ。裏でジメジメコソコソせずに、ズバっと表で殴りあうのがメリッサ・マッカーシー節。

ウトヤ島、7月22日(2018年製作の映画)

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エンドロールの最後に、「これはフィクションであり、ドキュメンタリーではありません。映し出された真実であり、あり得たかもしれない可能性のひとつです」というような監督の言辞が出る。

その生真面目さと真摯
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セリーナ 炎の女(2014年製作の映画)

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すべてがありきたりな紋切り型に終始。出会って10秒で合体して結婚するなら、タキシードとドレスで着飾った男女よりも、ゴミ袋被って便利モップ発明する男女のほうが断然リアリティがあるというもの。

ダウンサイズ(2017年製作の映画)

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ベトナム人に「何のファック?」と言われるアメリカ人の立場と、地球規模の文明批判の奇跡的な共存。極めて痛烈かつ鋭利な社会派映画であると同時に、極私的なラブストーリーでもある。ミクロを描くことはマクロを描>>続きを読む

オー・ルーシー!(2017年製作の映画)

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ことばと他者をめぐる鋭敏な洞察力。その眼差しで見つめられた現実は滑稽で仮借ない。だが、監督はそれらをひっくるめて抱擁してみせる包容力と優しさも持ち合わせている。とても良かった。

ジョーのあした 辰吉丈一郎との20年(2015年製作の映画)

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凄まじい。辰吉丈一郎というボクサーを突き動かしてきた原動力は、ただただ父子の業だけだということが20年の歳月を通じて如実に伝わってくる。その業を断ち切ってしまえば、ボクサー生命の源泉そのものが涸渇して>>続きを読む

愚か者 傷だらけの天使(1998年製作の映画)

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都庁舎を背景にした新宿の高層ビル群のなかに佇む、時が止まったままの木造の古アパート。そこに住む主人公真木蔵人と、向かい家から顔を出すアパートの大家は三味線のお師匠さん。再婚した夫(大杉漣)から暴力を振>>続きを読む

座頭市 THE LAST(2010年製作の映画)

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暴力=強さに惹かれる弱きものがいて、しかしその強さがさらなる争い=暴力を生む。題字に冠された「ラスト」の意味は、この連鎖に対するひとつの答えだということだろう。そこにカタルシスはない。その意味で、本作>>続きを読む

亡国のイージス(2005年製作の映画)

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編集と音楽に従来の坂本組ではないハリウッド系の人間を起用していることもあって、ハリウッドスタイルの見応えある社会派サスペンスドラマに仕上がっている。とはいえ、そのテーマの核にあるのはやはり親子や孤児、>>続きを読む

闇の子供たち(2008年製作の映画)

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正視に耐えない描写がいくつもある。だが、そこにはタイの児童人身売買という現実に対して、「世界はひとりの子どもも救うことができないのか」という感情と、たとえ救うことができなくても「(現実を)見て、見たも>>続きを読む

行きずりの街(2010年製作の映画)

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二度と取り戻すことのできないもの。失われてしまったもの。

取り壊しが決まり、いまはもう廃校となった校舎の中で、男はその失われた風景を取り戻そうとする。物語を逸脱することも厭わない強引ともいえるその姿
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カメレオン(2008年製作の映画)

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どこにも属さないからこそ、その怒りは誰よりも真率で激烈な社会批判たり得る。これぞアウトロー映画。

簡潔にして小気味よいアクションのリズム。だが、旅まわりの芸能一座と彼ら一家が宿とする街場の工務店倉庫
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北のカナリアたち(2012年製作の映画)

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歌うことで繋がれる生、孤児=生徒たちとひとりの母親=先生という関係は極めて阪本順治的なテーマではある。しかし、音楽と木村大作による映像の「重厚さ」、そして俳優たちの「格調の高さ」(唯一、刑事役の石橋蓮>>続きを読む

KT(2002年製作の映画)

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戦後日本の矛盾を語らんとする意図は分かるが、いかんせん図式的すぎる。映像の持続とリズムから生まれる緊張感は見事。

(2000年製作の映画)

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「許してもらわなくてもいい」という藤山直美の言葉は、『大鹿村騒動記』における大楠道代に引き継がれている。

罪を犯すことでしか獲得し得ない生と自由。そこにある女たちのぎりぎりの尊厳。

女王陛下のお気に入り(2018年製作の映画)

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18世紀イギリス王室の権謀術数、嫉妬や欲望渦巻く世界を描きながら、芸達者な俳優陣のその場限りの瞬発力ばかりが目についてしまう。つまりは才気走ったふりをしただけの浅薄なドラマ。

明らかに参考にしている
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ビリケン(1996年製作の映画)

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時代に捨てられた神様=ビリケンと、母親に捨てられた孤児との交流。通天閣という場にいないビリケンはただの「置物」になってしまうということ。

阪本順治監督作品における「世界」とは、単なる場所を指すだけで
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大鹿村騒動記(2011年製作の映画)

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尺が足りていないために群像劇として描ききれていないのではないか。アルトマンの偉大さを痛感する。

魂萌え!(2006年製作の映画)

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ひとつの世界の崩壊と再生。

この世の「外」ではなく、あくまでも世の「中」を生きる風吹ジュンの素晴らしさ。その支えとなるのが映画=フィルムというのが泣かせる。映画館の闇の中、光を当てられることで息づく
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ぼくんち(2002年製作の映画)

5.0

素晴らしい。孤児=難民と母子という阪本順治監督作品の本質的主題に真っ向から取り組んだ傑作。誰もが孤児であり、同時にネコばあの子でもあるということの祝祭的ユートピア。

新・仁義なき戦い。(2000年製作の映画)

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仁義を求めつつ裏切られる親なき難民=子どもたちの闘いになってしまうところが阪本順治。

この世の外へ クラブ進駐軍(2003年製作の映画)

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「俺ね、終戦のビラは信じられなかったけど、飛行機から流れるジャズは信じられたんだよ」。
武器は人を殺し、楽器は人を生かす。人と人のあいだを流れる調べの力。風景は人を固着させ、ここではないどこかへと向か
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トカレフ(1994年製作の映画)

5.0

我々はただカウントされるだけの人間なのかということ。応援撮影に芦沢明子。

・ふ・た・り・ぼ・っ・ち・(1988年製作の映画)

5.0

もう名作と呼んでもいいのではないか。つくづく未DVD化が悔やまれる。

人類資金(2013年製作の映画)

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堂々たる大失敗作。全編が金融資本主義経済に対する抵抗と反発、破壊と革命のアジテーションだけで作られている。
そのエモーションの熱さに比べて、パソコンの画面に映る株価の数字と携帯だけで世界が変わってしま
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アリー/ スター誕生(2018年製作の映画)

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「スタア誕生」はアメリカという国が抱えている父性の問題をあぶり出す格好の物語だが、今回の新作はその問題をいかに「現代的」に収拾するかに苦心しすぎるあまり(ラストの反転然り)、人物造形が浅くなってしまっ>>続きを読む

ブラックパンサー(2018年製作の映画)

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カタルシスに酔いそうになる度にツッコミを入れながら、あくまでも現実という地平に足をつけて、とことんクールに語っていく。最初からおとぎ話=フィクションの外側から、子ども=未来への語り聞かせという形で始め>>続きを読む

ちはやふる ー結びー(2018年製作の映画)

5.0

素晴らしすぎる。脇役の誰一人として蔑ろにしない、作り手の愛と情熱。新にLINEの送信ボタンを打てない太一が、やがて新の前に姿を現し、歌かるたを連取する。その一部の隙もない大団円にただただ涙。上の句と下>>続きを読む

ちはやふる 下の句(2016年製作の映画)

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素晴らしい。荒ぶる青春映画は数あれど、これほど高潔で清々しい青春映画は少ないだろう。

前作で見せた視聴覚を駆使した映画的=身体的な競技かるたと情動との見事なリズムにさらに緩急をつけ(吹奏楽部との音響
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ちはやふる 上の句(2016年製作の映画)

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むちゃくちゃ面白い。
相手の声に耳をすませ、ことば=思いに賭け、ことばを託し、ことばをぶつけ、ことばに触れる。百人一首という「ことば」の持つ物語性や面白さが、視聴覚や身体性という映画の特性として存分に
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