「dis joint」から「joint」へ。オーボエの音色が縁どる青い羽ばたきと、にじんで混ざりあう境界の美しさ。繋がるってことは、相手に合わせるってことじゃなくて。
だから、今度もしあなたと私の声>>続きを読む
いまなぜパピヨンなのかという、過去と現在を繋ぐ糸が見えない。現在においてより焦点をあてるべきは、不自由を強いられている側ではなく、強いている側ではなかったか。
『ザ・ロード』や『悪の法則』、『ノーカントリー』のような作り込まれたフィクションの重厚さとは対極にある作品。つまり、ただ狂人を狂人として写し出すドキュメンタリー映画になっている。
優れたコメディアン>>続きを読む
音楽によって生み出された幻影が、音楽によって葬られ、再生するまでを描いた映画。4人の若者はただ音楽を作り、演奏しただけだ。
極めて誠実に嘘をつこうとはしている。しかし結局のところ、言葉や脚本の上ですべてが成立してしまっている気がする。
悪魔のいけにえの前日譚ではあるが、まあサンプリング程度に捉えておけばいいのではないか。尺は90分前後、あくまで簡潔、直情的に、しかし核には疎外者の悲哀と怒りを込めて。ジュリアン・モーリーとアレクサンド>>続きを読む
報道=ジャーナリズムという理念と娯楽=俗情。「朝焼けの栄光」は「朝勃ち」でもあるということ。ニュース番組というひとつの世界を通じて、夢と現実がせめぎあうことで駆動するアメリカという国そのものの姿が描か>>続きを読む
言葉のメタファーはそのまま映画のメタファーに変換できるわけではないということ。緊張感を持続させる演出はさすがだが、その映画としてのメタファーがあまりにも明解なために、冗長であざとく感じてしまう。
こういうものを見ると、やはり『グリーンブック』は綺麗事だと言わざるを得ない。あの美談に不快すら覚える人々がいるという事実は、どれほど重く受け止めても、決して受け止めきれるものではない。
「まず社会を>>続きを読む
ホラー映画の間とリズムをデヴィッド・ゴードン・グリーンが完全に見誤っていることは、終盤のマネキンの場面を見ても決定的に明らかだ。
ホラーというジャンル映画の金字塔的作品のリメイクや続編を作ることに関>>続きを読む
正直、最初の30分間は苦痛のあまり何度も見るのを止めようと思ったが、『かぶりつき人生』のような生き生きとした女たちが出てくるストリップ小屋の場面から素直に見られるようになった。
脚本、俳優、演出のすべ>>続きを読む
作家の贖罪というテーマではあるが、ナルシスティックな自己劇化に見えてしまうのは饒舌な脚本と説明的な演出に要因があると思う。ローガン・ラーマンのヒゲはどう見ても違和感があり不要。
『リリィ・シュシュのすべて』から十数年、岩井俊二が確立した世界観は弟子筋の行定勲ではなく、より若い後続の世代にこそ、ある切実さを持って継承されていると感じた。
こうすればこうなるという安易な手法ありきの、切実さや誠実さのカケラもない最低の演出。これは例えば、身を絞るようにして撮られた諏訪敦彦監督作品のフィクションとドキュメンタリーに対する姿勢に泥を塗って侮辱>>続きを読む
超絶素晴らしい。いくらでも重たくできるけど、もう重たい物も持てないから、車に乗って、鼻唄まじりに飄々と、寄り道しながら行く12回の道行きは、我らが罪を背負いしキリストならぬ、俗臭ふんぷんたるイーストウ>>続きを読む
すべての人間が善人であるというディストピア。観客に委ねるフリをしてお茶を濁したラストが象徴しているように、浅薄な脚本が致命的。
「狂った世界の中にただ1人狂わない者がいたとしたら、はたしてどちらが狂っ>>続きを読む
創造の前には、破壊がある。
ひとりの人間がひとつの創造=表現を成すまでをこのような形で描いた映画を私は知らない。「家」から連行される主人公のジェームズがパトカーの中で見せる寝顔、その背景に広がる荒野の>>続きを読む
『リング』や『呪怨』のようなホラー映画を期待すると、『エイリアン』と『エイリアン2』くらい違う。元ネタの意匠を生かしつつ、エクソシストという鍋の中でごった煮にした心霊アクション映画の快作。四宮秀俊によ>>続きを読む
『ジョーズ』のネタや状況設定を500倍にスケールアップして(「この船じゃ小さすぎる」なら、もっとサメを大きくしてしまえ!)、そのぶん希釈された感じ。「撮影:トム・スターン」に白目。