『神は扉をお閉めになる時は、必ず窓を開けてくださるものよ…』
原題はDie Trapp-Familie。十代の頃に観た映画との再会です。その時に受けた印象はまったく変わっていませんでした。オーストリ>>続きを読む
『ゲーテの≪ファウスト≫を映画化することはできる。そして、たしかにこう言える。―これは冒瀆であり、文学作品≪ファウスト≫と映画≪ファウスト≫のあいだには、ひとつの世界ぐらいのへだたりがあるのではないか>>続きを読む
「フランドルの画家たちが…つねに関心を寄せていたのは、変化に富む物の表面をどうあらわすか、だった。…イタリアの画家が神聖視していた美の基準にこだわることはなかったし、権威ある主題にもあまり関心がなかっ>>続きを読む
物語の迷宮にようこそ!
『マドリッドのゴメレス大通りに抜ける路地に、ベンダ・ケレマという名の古書店がある。飾り窓もなく、看板も表札も煤で汚れていて読むことができないために、ここが世界でも有数の稀覯本専>>続きを読む
『この映画は美しい。…そしてそれ以上の深い解釈をしてみろと言われると、私は困惑せざるをえない』フランソワ・トリュフォ「ロベール・ブレッソンと≪バルタザールどこへ行く≫について」アート・シアター76号1>>続きを読む
昔、渋谷の東急文化会館で観た忘れることのできない映画があります。
ジョン・フォード「月の出の脱走」(1957年)がそれです。
1958年の頃でしょうか。このときの目的はジョン・スタージェス監督スペンサ>>続きを読む
『美というものだけが、神々しいと同時に目にみえるものなのだ…美の道を進んでゆけば、必ずエロスの神が道づれになって、得々と道案内をするにきまっているのだ』
ルキーノ・ヴィスコンティならではの「死とエロス>>続きを読む
わざわざ映画館に行って観ようとしたわけでもなく、どんな映画であるのかも分からずに、ただ、なにげなく観た映画が、いつまでも心の奥に残って離れなくなることがあります。まるで行きずりの恋のように。若い頃、テ>>続きを読む
『この(ジェニーのスケッチの)なかには過去がある。そこです。この少女をわたしはどこかで見たことがあるが、どこだか分からない』
ロバート・ネイサン「ジェニーの肖像」の中の画商ヘンリー・マシウズの言葉>>続きを読む
ミロシュ・フォアマン「カッコーの巣の上で」1975年
―精神異常を詐称して州立の精神病院に入院した主人公は人間性を欠いた管理主義的な婦長と対立。電気けいれん療法…過剰な向精神薬の投与…拘束…反乱…ロボ>>続きを読む
「われわれの眼と耳が要求するのは、現実そのままの人間の姿ではなく、真の人間の姿だ」
ロベール・ブレッソン著『シネマトグラフ覚書』松浦寿輝訳筑摩書房
現代映画の中で、映画特有の豊饒さや虚構から遠く隔>>続きを読む
『日曜は憂欝/影のなかで私は一日中過ごす/この心と私はすべてを終わらせることにしたの…』
(gloomy sunday 沼崎敦子訳)
ハンガリーの「ジュールとジム」― 男たちは女に翻弄され、女は歴史(>>続きを読む
ジュリアン・デュヴィヴィエは、男たちにたいしては辛辣で滑稽に、女たちには優しく、そして美しく哀しい存在として描いています。これこそフランス映画、フランスのエスプリです。
気になる場面があります。舞踏会>>続きを読む
『何一つ変更を加えず、かつすべてが違ったものとなるように』
ロベール・ブレッソン「シネマトグラフ覚書―映画監督のノート」筑摩書房
19世紀、絵画と写真の間でその芸術的価値について、さまざまな論>>続きを読む
バッハ演奏史上の貴重なドキュメントといわれる映画です。この映画の『出発点となったのは、音楽を伴奏としてでも解説としてでもなく、美学的素材として利用できるような…ものを作りたいという発想』からである。>>続きを読む
ハマー・フィルム・プロダクションの二作目です。これは名作といっていいかも知れません。まず第一に、ブラム・ストーカーの複雑な原作を、実にシンプルに、映画的に(多少地理的な破綻はあるとしても)脚色したこと>>続きを読む
6月16日は「ブルームの日」です。
ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ(1922年)』は、1904年6月16日木曜日のたった1日を描いた小説です。
《登場人物たちは…一種運命のゆっくりした舞踏のなかの>>続きを読む
カルネの「悪魔が・・・」は、いつ頃見た映画なのかたしかな記憶がありませんが、その頃NHKテレビに「世界名画劇場」という番組があり、その中で見た一本ではないかと思います。この番組では、古いフランス映画が>>続きを読む
アンリ・ヴェルヌイユ「Des gens sans importance)1955年
小妖精、女猫、ほのぐらい背徳的なかげりを持つ女ともいわれ、けだるい官能性の宿る女、コートの似合う女性…フランソワーズ>>続きを読む
『1984年東ベルリン、国民は国家保安省の監視下にあった。10万人の協力者と20万人の密告者が、すべてを知ろうとする独裁政権を支えた』
原題:Des Leben der Anderen
邦題:Die >>続きを読む
ジェラール・ドパルデューの「シラノ・ド・ベルジュラック」を観ました。ホセ・ファーラー以来の映画になります。フランス語のセリフの美しさは、さすがだな、と思います。「シラノ」には華麗な言葉の魔力があります>>続きを読む
ローレンス・オリビエ「ハムレット」1948年
私の「ハムレット体験」は、この映画からはじまりました。まさに正統のハムレット、偉大な名優のハムレットです。これをきっかけに坪内逍遥訳のシェイクスピア全>>続きを読む
『このパリという魔法の題を用いれば、芝居も(映画も)雑誌も本も成功間違いなしだ。』
テオフィル・ゴーティエ 1856年
原題:Une Estoninne ã Paris (A Lady in P>>続きを読む
もう一度見てみたいと思う映画があります。
1956年のフランス映画「幸福への招待」監督はアンリ・ヴェルヌイユ、原題は<パリのパレスホテル>。パレスホテルの美容室につとめるマニキュア嬢(フランソワーズ>>続きを読む
心に残る映画の忘れられぬ1場面 ―
デヴィット・リーン「逢びき(Brief Encounter)」1945年イギリス映画
原作は、ノエル・カワードの戯曲『静物画』
音楽は、ラフマニノフのピアノ協奏>>続きを読む
《パリは変わる!だが然し、僕の心の憂愁(さびし)さは一向に変わりはしない》
シャルル・ボードレール『悪の華』堀口大學訳
1960年の後半の頃です。私は、大学紛争の煽りを食って、大学の研究室を辞>>続きを読む
気になる映画のちょっと気になる1場面
キャロル・リード「第三の男」グレアム・グリーン原作・脚本 1949年
グリーンは原作の序文に次のように書いています。『これは読んでもらうためにではなく、見てもら>>続きを読む
”おお主よ、わが神よ 永遠に尽きることがないよう祈ります
大地の砂と大いなる海 ほとばしる豊かな水 そして天から下される稲妻が、これが人間の祈りです” (Eli, Eli, A Walk to C>>続きを読む
「我ただ一人のがれて汝に告げんとて来れり」ヨブ記1.15-19
ジョン・ヒューストン『白鯨(モービィ・ディック)』1956年
監督が極め付きの鬼才ヒューストン、脚本がレイ・ブラドベリ、カメラがオズワ>>続きを読む
マノエル・ド・オリヴェイラ「家路(Je rentre a la Maison)」
ポルトガル=フランス合作 2001年
家族を事故で失い、俳優としても限界を感じ始めた老俳優の悲哀を描く作品です。彼は一>>続きを読む
『私にかぎらず、ずいぶん多くの人…たちにとっても ―
ヘミングウェイが神様だった時代があった』
イタロ・カルヴィーノ
私も若い頃、ヘミングウェイから多くのものを学びました。簡潔な言葉で描かれた詩>>続きを読む
『Even with their separate tables they can talk back and forth』原題は「銘々のテーブル」
イギリス海峡に臨む霧深い海岸町ボーマンスの古ぼけ>>続きを読む
『素晴らしい ― 何が? ― 人生よ。かくも長い、長き人生 ―
老いと死を冷徹に容赦なく見据えたこの作品は、誰もがやがて来るべき日を受け入れ、共感を覚えずにはいられないでしょう。私も妻との生活をあら>>続きを読む
≪ネオリアリズモは…新しい出会いの芸術、断片的な、束の間の、とぎれがちの、成就しない出会いの芸術である≫ チェザーレ・ザヴァッティー
「靴みがき(1946年)」「自転車泥棒(1948年)」「ミラノの>>続きを読む
『老人と若者が理解し合える魔法などないのだ。
私たちの間には断絶という渓谷があり、その苦しみの隙間に橋を渡せるのは“汝の父母を敬え”という、かつての賢人の言葉にしか見ることができない』
ジョセフ>>続きを読む
『何かいい物語があって、語る相手がいる限り、人生捨てたものじゃない』
欧米間航路の客船の上で生まれ、一歩も船を降りたことがないピアニストの物語です。
この映画は、夢と憧憬と希望、そして悲しみと孤独と>>続きを読む