まだまだ続くよ西部劇の古典巡り、これで17作目。いやー、これは相当面白かった!
71年の最高傑作と名高い『断絶』や、タランティーノの『レザボア・ドッグス』の製作総指揮などでも知られるモンテ・ヘルマン>>続きを読む
まだまだ続くよ西部劇の古典巡り、改めて数えてみたら、これでなんと16作目。けっこう見たなあ。今回は、言わずと知れた超絶有名作『シェーン』です。
「これぞ西部劇の中の西部劇だ!」という人もいれば、「こ>>続きを読む
退屈になりがちなライブ・シーンにアクセントをつけるためとはいえ、ブラスの音に合わせてショットが切り替わるのだけはなんとかならないかなーと思いつつ、総合して普通に面白いとは思います。とは言え、すごい映画>>続きを読む
【続】タランティーノの『ジャッキー・ブラウン』があまりにも面白かったので、70年代のブラックスプロイテーション映画を見てみるプロジェクト、その6。こんなご縁でもなければ一生見ることがなかったであろう、>>続きを読む
【続】タランティーノの『ジャッキー・ブラウン』があまりにも面白かったので、70年代のブラックスプロイテーション映画を見てみるプロジェクト、その5。
マーク数「2」、クリップ数「1」、おまけにジャケ写>>続きを読む
【続】タランティーノの『ジャッキー・ブラウン』があまりにも面白かったので、70年代のブラックスプロイテーション映画を見てみるプロジェクト、その4。レビューというより総論みたいな話になってしまったので、>>続きを読む
例えば『ブルータス』のような雑誌が、悪い意味でのマガジン・ハウスらしさを存分に発揮したきわめて穏当な映画特集号を発行するとき、まったく代わり映えのしない映画監督のおすすめリストにウディ・アレンは必ず入>>続きを読む
ウディ・アレンのヨーロッパに対する視線というものは、やはりコンプレックスなのだろうか? このくせ者作家の最高傑作のひとつに数えられている『愛と死』は、フランスには敵わないが、せめてロシアくらいは馬鹿に>>続きを読む
いやー、めっちゃ笑った。オーウェルの『1984年』的な警察国家のモチーフ含めて、トリュフォーの『華氏451』並みのチープな人力SFものであり(『華氏451』は警察国家ならぬ消防国家だったけれど)、キュ>>続きを読む
最近、「100人がマークしていればかなりの有名作」という基準の西部劇しか見てなかったので、久しぶりに趣向の違うものを、ビール片手にハラハラ・ドキドキできるようなものを、フィルマークスで1,000人以上>>続きを読む
フレッド・ジンネマンの『真昼の決闘』における、あのシニカルな居直りこそがリアリズムだと言わんばかりのドヤ顔にブチ切れたハワード・ホークスが、西部劇あるいはアメリカ映画に気合を入れるために作ったとされる>>続きを読む
言うまでもなく、ビリー・ザ・キッドとは、単なる高名なアウトローにとどまらず、合衆国のヒップ・カルチャーにおける半ば神格化された存在である。それは、合衆国が、ヨーロッパからの高等移民ではなく、西を目指し>>続きを読む
西部劇における勧善懲悪とは、「町の住民に見捨てられた孤立無援の保安官が、4人の外道をなりふり構わずぶっ放して名誉を回復する」などという醜悪なものであってはならない。「正義なんてないし、お互いに法は破っ>>続きを読む
ついに・・・ついに見ることができた『大砂塵』、大満足でございます。思い出補正ならぬ「ずっと見たかった補正」も多少はあると思いますが(笑)・・・これは傑作!!!
「トリュフォーが唯一愛した西部劇」とい>>続きを読む
『大砂塵』の中古VHS購入記念事業、ニコラス・レイの小特集! 冒頭、夜の街をシックに彩る車影を見て、『暗黒への転落』の平凡さは、それがセットと屋内の設定のみで作られた室内劇だったことに起因するものだっ>>続きを読む
その愛らしい処女作『夜の人々』をわが心のベスト・テンに選んでおきながら、僕はニコラス・レイのことをよく知らない。彼がジム・ジャームッシュやヴィム・ヴェンダースの師匠であることも、映画史的には常識でも僕>>続きを読む
ロバート・アルトマンによる1971年のポスト西部劇(フランスの批評用語では超=西部劇)は、北西部の鉱山街という舞台設定でもって地理的に、また、クライマックスに進むにつれて厳しさを増す雪(!)の白さでも>>続きを読む
登場人物を追って大胆に動き回り、構図を乱し続けるカメラ・ワークにまずは驚かされる。その驚きは、ウディ・アレンのような作家が(つまりは、ふつうの映画をふつうに撮り続けていたとばかり思っていた作家が)、こ>>続きを読む
映画のポスターに見入る女。その素晴らしい、抑制されつつも物欲しげな表情を捉える数秒のショットで映画は幕を開ける。人は誰だって、こんな表情で映画を見つめてみたいと願っているのだろう。だが、同時に、そんな>>続きを読む
ウディ・アレン、初期の代表作。当時36歳くらいですか。この作家のベスト10とかではよく上位に入っている作品。それは完成度よりも、やりたい放題ぶっかましている自由度を評価してのことでしょう。とにかく尖っ>>続きを読む
西部劇の定義は、実はどこにも定まっていない。場所も年代もおおよその目安程度にしか定まっていない。早撃ちのガンマンは必須ではないし、インディアンとの抗争も必須の題材ではない。したがって、西部劇のマイ・ベ>>続きを読む
先日見たのが『昼下りの決斗』、んでこれが『真昼の決闘』、さらには『白昼の決闘』なんてのもあるらしく。ジャンル映画ならではの被り具合。でもそんなの誰も気にしないのが、またジャンル映画ならではの暗黙の了解>>続きを読む
巨匠、フリッツ・ラング、渾身の西部劇。オープニング・ショット(見てのお楽しみということで・・・)を見ただけで確信せざるを得ませんでしたが、これは名作です! ラングは数えるほどの作品(37年の『暗黒街の>>続きを読む
フィルマークスでマーク数たったの「1」、クリップ数「0」のB級西部劇。別にマニアを気取りたいわけではないのだが(本作もそこそこ知られた作品で、地方の超しょぼいTSUTAYAにも在庫在りましたし)、ジャ>>続きを読む
西部で「最速」と言われた早撃ちのガンマン、ジミー・リンゴ。彼の後ろには50もの死体が山になっているとか、いないとか・・・。『拳銃王』というからにはさぞかし激しいストレス発散系の映画かと思いきや、とんで>>続きを読む
ジム・ジャームッシュが満を持して撮った西部劇が必ずしもウルトラ大傑作にはならなかったように、ウディ・アレンが満を持して撮ったと思われるミュージカルも、必ずしもウルトラ大傑作にはなっていない。ぜんぜん悪>>続きを読む
ウディ・アレン、90年代の代表作のひとつ。これも面白かった! めんたまが吹っ飛ぶほどの傑作ではない(見ようが見まいがどちらでもよろしい)が、やはり愛さずにはいられない佳作。前半はややもたつくものの、尻>>続きを読む
く、くっだらねええええ・・・・・!笑。こんなくだらない映画を作っても犯罪にならない、この素晴らしい世界に万歳!!!もうそれしか感想ないです!!!
というのはともかくとして、監督:ロバート・ロドリゲス>>続きを読む
今は亡き新橋文化劇場で見たロバート・アルドリッチの遺作『カリフォルニア・ドールズ』は、映画の内容のみならずそのロケーション含めて最高の映画体験だった。そこで映画は、程よい娯楽として、つまりは手ごろな暇>>続きを読む
あらゆる西部劇論、西部劇の名作リストに必ずと言っていいほどの確率で登場する60年代の、つまり比較的最近の、準新作相当の西部劇である。俗に言う、「これを見てないとモグリ」というやつですね。しかしこれ、そ>>続きを読む
『捜索者』”以前”から一作、『捜索者』”以後”から一作、という縛りで、フォードの代表作を借りてみました。こちらは大学の先生が書いた小説をベースにしているようですが、晩年の作品らしく、『捜索者』とは違っ>>続きを読む
西部劇を『捜索者』から見始めたのは、自分にとって良いことだったのか、悪いことだったのかは分からない。それはあまりにも・・・・完璧すぎたのだ。
通常、「名作100選」とかの映画を大体は疑ってかかるよう>>続きを読む
深夜、ある一軒家に二人組の泥棒が入る。家主の夫妻は、映画に出かけているところだ。二人は小さなライトを灯しながら部屋の中を物色する。そこで鳴り響く電話のベル。近所の人が目を覚ますことを嫌った二人は、短い>>続きを読む
ウディ・アレンは、あえて敬意を込めて言えば、見ようが見まいがどうでもいいような作家である。彼の作品のなかで人は、持て余した人生の前でうろたえる道化に過ぎない。彼の映画もまた、行くあてのない人々に捧げら>>続きを読む
P・T・アンダーソンがトマス・ピンチョンの『LAヴァイス』 を映画化するらしい、という話を聞いて、アメリカ文化に詳しいライターの友人に尋ねたものだった。「ピンチョンって誰?」。彼は(おそらくはため息交>>続きを読む
ロバート・アルトマン×レイモンド・チャンドラー。ここまで来れば、どんなに勘の鈍い人でもこれが何のための「あいさつ回り」なのか、お気づきだろう。とは言え、こちらも見ない言い訳を用意するのが難しいレベルで>>続きを読む