stさんの映画レビュー・感想・評価 - 2ページ目

st

st

映画(234)
ドラマ(0)
アニメ(0)

ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン/ブリュッセル1080、コルメス3番街のジャンヌ・ディエルマン(1975年製作の映画)

-

面白い。じわじわと崩壊し行くモーニング/ナイトルーティン。静かな日常の中に狂気が醸成され行く様はさながら『牯嶺街〜』のよう。扉や蓋の開閉、照明の点消灯、服の着脱。コーヒーを抽出するように、芋を茹でるよ>>続きを読む

ヤマト探偵日記 マドカとマホロ(2022年製作の映画)

-

雨が止むこと=どこかで雨が降っているということ by黄色いTシャツのおじさん
→つまりは大和で起きていることもどこかで世界と繋がっている。
姉とおじさん、姉と妹をそれぞれ横から水平になめていく2つのロ
>>続きを読む

奇跡の海(1996年製作の映画)

-

『ダンサーインザダーク』セルマのごとく不遇なベスを中心に描かれる喪失劇。土着の教会(=伝統主義かつ排他主義)が力を持つ中、彼女は内→外へと精神を、身体を(文字通り)開いていく。他所者のヤンを夫として愛>>続きを読む

アネット(2021年製作の映画)

-

『ホーリー・モーターズ』同様の私小説的な自己言及に始まる。スパークスらとともに行進する登場人物。カラックスらしい(というより『ホーリー・モーターズ』らしい)メタ的で実験的な導入部。物語は、”観客”側か>>続きを読む

私、君、彼、彼女(1974年製作の映画)

-

"独白"(一人称)から、"手紙"(二人称)を書き連ねることを経て、"出会い"(三人称)を求める。冒頭のタイトルバックにある通り、「私・あなた・彼」と「彼女」はパラレルだ。「私」→「あなた」への手紙は読>>続きを読む

ブンミおじさんへの手紙(2009年製作の映画)

-

脚本上のブンミおじさんと実際のブンミおじさんとのズレ。朗読1回目の映像は窓から覗くナブア村の景色を、2回目には外から見た家の外観をそれぞれ多角的に捉える。煙を発する不思議な物体の存在感。曇り切った空。>>続きを読む

ワールドリー・デザイアーズ(2005年製作の映画)

-

MV撮影っぽい現場風景と、その劇中劇とを3回往復する。が、劇中劇の撮影は架空の企画で、実際はその撮影スタッフ(しかもみんな架空企画であることを知らない)をこっそり捉える本作のためにあったらしい。なかな>>続きを読む

エメラルド(2007年製作の映画)

-

廃ホテルの室内に渦巻く白い物質。羽根のように見えるが、ひらひらと舞い落ちるでもなく浮遊しており、質量を感じさせない。重力を失った空間。そこに挿し込まれる男女の会話。ホテルの過去の記憶だろうか、ベッドに>>続きを読む

カクタス・リバー(2012年製作の映画)

-

メコン川を眺む夫婦。早回しによって2人の過ごす時間が凝縮される。一転、家の中での日常風景へ。台所での料理や、居間での編み物。LG製の液晶にはサボテンが映る。サボテン=Cactusは「枯れない愛」が花言>>続きを読む

国歌(2006年製作の映画)

-

川沿いの風通しの良いテラス席。女性2人の語らいにアピチャッポン常連女優、ジェンジラー・ポンパットも加わる。川を越えた先のジムに祈りを送ることで不意にイメージが広がる。花を囲む女性たち、を囲むバトミント>>続きを読む

真昼の不思議な物体(2000年製作の映画)

-

話を聞き、生に向き合うというアピチャッポン映画の原点。客の元を車で売り回る行商人のごとく、物語は数多の語り手を乗り継ぎ、伝承され紡がれる。「メークロン港のサバだよ」の言葉もまるでその後に登場する話し手>>続きを読む

ブンミおじさんの森(2010年製作の映画)

-

川が上流から下流へと流れ行くように、日々の営みや家族・仲間との時間はゆっくりと溶け落ちる。生命循環のメタファーとして繰り返される「水」の表象(死んだ妻へ渡す飲水、王女とナマズの魚姦、透析液、シャワー、>>続きを読む

汚れた血(1986年製作の映画)

-

ただただ疾走感。白のハスラー爆走に始まり、駅や街を走り抜け、滑走路を駆ける(ジュリエット・ビノシュがコマ落ちするほどの早回し!)。3部作の中で1番アレックスがカッコつけてるように見えたけど逆になんか好>>続きを読む

ポーラX(1999年製作の映画)

-

冒頭、爆撃と破壊のイメージを経て、フォレストガンプの冒頭を彷彿とさせる長回しクレーンカット。気合いの入り方が違う… アレックス3部作の撮監ジャン・イヴ・エスコフィエと別れ、本格的に自らの画にこだわった>>続きを読む

RAW〜少女のめざめ〜(2016年製作の映画)

-

いかにもフランス映画っぽい色彩感覚。黄色と青。「緑になるまで出てくるな」←なんかオシャレ。獣医学科のパリピ度合いがリアリティあるものかどうかはさておき、映画全体として通過儀礼の形式をモチーフとしている>>続きを読む

牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件 デジタル・リマスター版(1991年製作の映画)

-

ゆっくり時間をかけて醸成され行く狂気性。撮影スタジオ、草っ原、ビリヤード場、レストラン、学校の廊下、テニスコート。印象的な風景・場面が反復される。チャン・チェンは静かに心を燃やし、リサ・ヤンは捉えどこ>>続きを読む

スワロウテイル(1996年製作の映画)

-

設定から何からバケモノすぎる想像力…それぞれの役がちゃんとハマってるし、とくに医師ミッキーカーチスの胡散臭さはカラックス『アネット』の古舘寛治に通ずるくらいに良かった。渡辺篤郎は若すぎて気づかない。種>>続きを読む

偶然と想像(2021年製作の映画)

-

ああ短編オムニバスってこういう感じだったよなあと。最初肩肘張って見てたけど(1本目のラストであんな展開とカメラワーク見せられたら肩肘も張るよなあと思うが…笑)、『もう一度』の頃には思考疲れてケラケラ笑>>続きを読む

THE DEPTHS(2010年製作の映画)

-

表(舞台)と裏(社会)、(モノクロ)ネガと(カラー)ポジ、幸と不幸、日韓・男女・公私。物語序盤からあらゆる二項対立が呈示される。無論、物語は単純な二元論の先へと向かう。総じて映像的に表現されるはリュウ>>続きを読む

猫は逃げた(2021年製作の映画)

-

脚本がうまくて物語としてすごい引き込まれた感。何よりパパラッチを生業にする真美子による「覗く」視線劇に惹かれる。自分のサービスランチのパフェを口にする広重を"覗き"、伊藤俊介演じる映画監督のプライベー>>続きを読む

MEMORIA メモリア(2021年製作の映画)

-

広角の長回しフィクスによって絵画的に切り取られた風景。アンビエンス。記憶をめぐり自然から超自然(宇宙)へ。我々の意識は果てのない宇宙(=「映画」という視聴体験)を乗り越え、日常(=「映画館」にいるとい>>続きを読む

フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊(2021年製作の映画)

-

本当に雑誌みたいな映画。造形と構成がよくできてるなあ。レア・セドゥとベニチオ・デル・トロの回が1番好き… 天井からの上下反転のカットバックおしゃれすぎ。オムニバスだと情報量多くて後半ちょっと疲れてしま>>続きを読む

DEATH DAYS(2021年製作の映画)

-

面白いし美しいなあ。役者森田剛は初めて?見た気がするけど思ったより良かった。どう見ても20歳には見えなかったけど笑。石橋静河とわちゃわちゃ踊ってるとこも最高(その実はプロのダンサーとアーティスト、と思>>続きを読む

ペトラは静かに対峙する(2018年製作の映画)

-

めっちゃ面白い…… 虚実探究(「"真実"とは何か!」)に塗れた脚本展開と深緑溢れるカタルーニャの自然に圧倒された。会話劇をあえて映さず通り過ぎる、幽霊のように浮遊するようなカメラワークが静かに"死"を>>続きを読む

愛なのに(2021年製作の映画)

-

シンプルに面白いし、レーティングついてるのにどこか安心して観られる。長回し会話劇はまさに今泉力哉っぽい温度低めな感じなのだけど、カメラワーク(メモ:撮影は渡邊雅紀さん)が縦横前後にかなり動いていて動的>>続きを読む

ミスミソウ(2017年製作の映画)

-

鮮やかな色彩感覚は原作譲りなのだろうけれど、どちらかというと音(像)のクオリティが高くてびっくりする… 同じく内藤瑛亮監督の『許された子どもたち』でも感じた、耳を刺すようなボウガンの音。いずれも録音技>>続きを読む

空白(2021年製作の映画)

-

"過剰に"追う者と"過剰に"追われる者。感情的(すぎる)古田新太の「馬鹿野郎」の声はどこか安心するところがあるが、それは吹っ切れた"過剰さ"があるから(、そして今やその"過剰さ"は日常では失われつつあ>>続きを読む

なみのおと(2011年製作の映画)

-

ようやく観られた。”街”を「破壊」した津波を記録する映画でもあり、同時に東北の”人々”(友人や夫婦・姉妹…etc)の絆の「(再)構築」を記録する映画でもあるなと。インサートとして差し込まれるのは荒廃し>>続きを読む

阿賀に生きる(1992年製作の映画)

-

住民への取材を通して真実を浮き彫りにするスタイルでなく、住民が史実とどう向き合うかを見届けるような構成。福島の山々から注ぐ阿賀野川が住民たちを静かに見つめる中、四季の移り変わりとともに、住民たちは祭り>>続きを読む

赤い殺意(1964年製作の映画)

-

小津っぽいあおりの構えが多用されているかと思いきや、鏡やアイロン越しのバックショットなどのキラーカットに驚かされる。夜や雪による視界不明瞭。「見えない」ことが「見える」ようになる(眼鏡を”拾う”・写真>>続きを読む

ハズバンズ(1970年製作の映画)

-

映画の大半のシーンが役者をクローズアップしていて役者第一主義を常に意識させられる。バスケのシーン好きだし、なるほど濱口竜介っぽいなと納得。ロンドンの地面を打つような雨とホテルの静けさの対比は美しいなあ>>続きを読む

かそけきサンカヨウ(2021年製作の映画)

-

一定の温度感が夜の微熱のように薄く長く続く感じが「パンバス」や「退屈な日々に〜」の頃のような作風を思えて懐かしくなった。一方で、ちょっと美しく整えすぎなのかなという印象も。常に整然と整った部屋、新緑あ>>続きを読む

ある殺人、落葉のころに(2019年製作の映画)

-

独特のテンポ感。特徴的なリフと歪みがかったギター音(個人的には今泉力哉『サッドティー』のトリプルファイヤーの劇伴っぽさを感じた。)。冒頭の連続したカットにも象徴されるような、「なんでもない田舎」で起こ>>続きを読む

天国はまだ遠い(2015年製作の映画)

5.0

第三者の身体を通じて(=憑依)、死者(姉)の魂と生者(妹)の身体が交流する美しさ。意図せずも、ドキュメンタリーを記録しようとした卒業制作映像には抱き合う2人(3人)の心臓の鼓動がピンマイクを通じて明確>>続きを読む

不気味なものの肌に触れる(2013年製作の映画)

-

「触れる」ことと「離れる」こと。冒頭、兄弟の触れ合いは一見他愛なく見えるが、ふとした瞬間にその関係性は拒絶され、その拒絶は「死」を連想させる。「接触」→「断絶」→「死」という物語構造を予言する。
ダン
>>続きを読む

恋人たち(2015年製作の映画)

-

篠原篤と成嶋瞳子はハマり役すぎる。池田良も(『由宇子の天秤』でも思ったけど)胡散臭さ漂う救われなさみたいなのが本当すごいな。最初から最後まで暗くて温度の低い空気感なのだけど、たまにふわっと訪れる血の通>>続きを読む