80年代学園ラブコメ演出詰め合わせ感。スキー、遅刻、植物や星、先生と生徒のやり取り、男を追いかけて学者になる…等。
地震のシーンが嫌にリアルで年代関係ないのだなと思った。
原田知世美少女すぎる… あと>>続きを読む
懐古的な前半と人間愛を語る後半で明確に分かれている構成。とりわけ前半は今泉力哉のシュールな空気感(そしてそれを支える長谷川白紙の劇伴が最高!)と後半冨永昌敬の愛おしくも切ない人間模様が良い感じに合わさ>>続きを読む
名曲たちがいかにして生まれていくか。貴重なスタジオ収録の現場とか打ち合わせの場とか。途中知らない部分増えてくるとだんだん眠くなってしまった… タイタニックの話が印象的。
「映画音楽のルールは1つ。『>>続きを読む
やっと観られた。冒頭の波形スペクトラムによる音像表現がかっこいい。『地獄の黙示録』以降ドルビーサウンドが浸透していったけど、それまでの歴史は曖昧だったので普通に勉強になった。久々に映画館で大きい音聴い>>続きを読む
途中までいかにも絵画的というか文学的で、推理小説でも読んでいるかのようだったけど、ラストのメタ展開面白い。消える死体とテニスボール。いかにも悪そうなチンピラがこぞって興じるシュールなパントマイム。『納>>続きを読む
ドニ・ラヴァンのメンヘラ的なエゴイズムが途中までなんとも救えない感。ラストシーンが美しくも儚くて良い。セーヌ川を、地の果てルアーヴルへ。まどろめパリよ!のポーズ、タイタニックオマージかと思いきやこっち>>続きを読む
存在と時間。夜の星空(宇宙)から昼間の青空(地球)へと切り替わる冒頭シーンからそのテーマを仄めかされる。引っ越し前のベッドシーンやミートパイを食べるシーンなど、極端な同ポジ長回しカットによって「時間」>>続きを読む
女は、男の背中を追うことを辞め、「世界」を追いかける。
夫を追い、シベリア鉄道を経由して単身パリへと向かった与謝野晶子は謳う。
「いざ、天の日は我がために
金の車をきしらせよ、
嵐の羽は東より
い>>続きを読む
光と影。光の渦に巻き込まれ、ザラザラとしたテクスチャの中に釘や鋲とともに閉ざされる。
縦に横に貫かれる線。意識と意識の混ざり合い。
運動と静止。カーテンから漏れる光に照らされる裸体の耽美に、強さと美し>>続きを読む
予想通りのハチャメチャ展開。キービジュアルの時点で勝ってるなと思った。あと蠢く蟻のダリ感。
初上映時に観客(ピカソやブルトン、エルンストなどシュルレアリスム・ダダの錚々たる面子)からの抗議が来たら投>>続きを読む
80年代サイバーパンク。描写力がとんでもないなと思った。庵野秀明は王立宇宙軍ネオアミスの翼でのロケット発射シーン(破片が散るところ)が自身のアニメーターとしての作例の最高峰と言っていたが、それに匹敵す>>続きを読む
ランティモス作品に通底する「制約」という主題。『籠の中の乙女』ではパターナリズムが、『聖なる鹿殺し』では心臓外科医の禊というものを根底とした「ルール」がストーリーの前提となっていた。今作ではパートナー>>続きを読む
何が幸せで何が幸せでないか、何が人間的で何が人間的でないかという命題。下肢の不自由、自閉症を持つ妹、父母の不在といった不遇な環境下に生きる良夫。公職・既婚・子持ちという真逆の立場に立つ肇からは一連の言>>続きを読む
軽快で軽妙な寄せ集め系カルトロードムービー。山を登るかと思いきや海を渡り始めたり水平方向にしか瞬間移動しかできないおっちゃんが現れたり、シュルレアリスム全開。監督/脚本/音楽/美術/衣装って、、ホドロ>>続きを読む
もしかしたらあり得たかもしれない世界線の地球創世譚。高度文明の高慢さが綻びを生み出すという普遍的寓意。宮崎駿が『ナウシカ』制作のリファレンスにもしていた?らしく、アニメーションのレベルも高い。
映画監督としての立場への陶酔と苦悩が私小説的に描かれる。莫大な資金をかけて建設されたにもかかわらずゴミと化したロケット台(=近代科学へのメタファー?)のもと、立場を超えて狂宴を繰り広げる人々。喜劇的な>>続きを読む
映写機に映される断片的表象。作品を通ずるテーマである「演じる/演ぜらる」の関係性に言及するかのごとく反復される「映画」のイメージ。
本当の自分でありたいと思う「私」、自意識に縛られる「私」、偽物の「私>>続きを読む
ひたすら釘を打ち続ける人達。「釘」はこの世における制約・束縛か。あるいは「男性性」的な家父長主義のメタファーか。磔になる掌、苦悶する男女、書物に刺さる釘。一面の白画面にはJAシーザーのどこかノスタルジ>>続きを読む
眼帯を取り、蝶の羽を通して見る世界。復活と死、再生と変化。酒池肉林を背に蠢く黒い人々。反復される生と死のイメージ。赤い女と赤い花。蝶のように舞う女は、蝶の前に酔い痴れる。
エーロサーリネンを思わせる一脚テーブルに乗る淫乱な女とその取り巻きから、画面越しに挑発的に言葉を浴びせられ続ける。生魚のように「青い」男、魚釣りのように「釣られる」男。残響感ある田中未知の音楽が心地良>>続きを読む
72年、浅間山荘の最中にこれが作られてたと思うと意味深い。若者の溢れる情念と新左翼主義。思いの吐露は言葉や暴力として文字通り「吐き出」されるだけでなく、仮想敵を「爆破」させていく。敵味方の捉え方も相対>>続きを読む
デイヴとハルの掛け合いは言わずもがな、人間対非人間の対比が冒頭から最後まで貫かれる。
・壮大な物語を予感させる"アンビエント"なOP(=スポンテイニアスな音楽)と、余韻長引く"クラシカル"なED(=楽>>続きを読む
過去の記録→映写室へと遷移し、記憶を取り戻す的な展開は『田園に死す』っぽいなと思ったりしたけど途中で集中が切れてしまいハマらず… 同時代作品をさらったあとにもう一度鑑賞しよう。
面白かった。初期キューブリックはこんなマッチョで俗な映画を撮っていたのか、と。マリーウィンザーの悪女感とエリシャクックジュニアの小物感。「籠の中の鳥」(=空を羽ばたけない存在)はそれぞれの「計画」が無>>続きを読む
テーマとしてるのは「逆さ(逆転・逆行)」だろうか。
・「立場」の逆転(生徒からメイド、メイドから愛人へ)
・「位置」的な逆転(2階からの転落、天地を逆にするメイドの死亡時体勢)
・「貧富」の逆転(夫の>>続きを読む
昼ドラからの火サスからのサイコホラー展開。ノーマンが2階に上って母親と会話するシーンはどうやって撮影してるんだろうか、、ここだけカメラワークが異質(1階からのアオリ→階段を上って扉をナメるように上へと>>続きを読む
東横線が多摩川を越えていくように、登場人物は自分の壁を超えていく。リアリティ溢れるワークショップ。前半はパッとしない役者たち。世相を反映した国際関係。マンツーマンのインタビューシーンは2カメで席を離し>>続きを読む
電車や時計が明らかに重要なモチーフであることをチラつかせる序盤。気づけばトリップ感溢れるRPGに。第三者的な視点は村人から村人へと次々に移り変わる。バチバチのフィックスとバチバチの手撮り長尺という両極>>続きを読む
ジーン・セバーグの「フランス人は違うことでも同じと言うのね」という言葉の通りひたすらベルモンドの腹黒さとプレイボーイさを見せつけられる感じ。我が道を行くベルモンド=当時のフランス(ドゴール政権の独自路>>続きを読む
たまたま今年の藝大映像研究科の卒制を観に行ったその日の新文芸坐オールナイトで鑑賞。2008年に同じ場でこれが上映されてたのか… クオリティがすごすぎる…
カメラワークに序盤こそ不安があったものの、後>>続きを読む
アリ・アスターまで継承されゆく悪魔崇拝モノ。ではあるもののホラーライクな映像表現は少なく、意外とあっさりしてる。ミア・ファローの短髪が美しすぎる。そしてチョコレートムースの中身は何だったんだろう...
最初から最後まで一貫して続く独特な空気感。近くもあり、遠くもあるような感覚により、「作り上げられた」1950年代の日本に没入させられる。笠智衆の達観した物言いと酩酊時のだらしなさのギャップがなんとも人>>続きを読む
兵士同士でのやりとりやラストシーンのウェイクボードのメタファーなど、随所でユーモアあふれる演出に富むが、メッセージ性としてはかなり辛辣。「学ぶ」ことで家畜や虫から人間へと昇格し、「特攻する」ことで人間>>続きを読む
劇場では理想郷としての「天国」が歌われる。そこはチェックフロアを介した異界。他方、部屋には泣き止まぬ奇形児。精神崩壊の妻、蠱惑的な隣人。超現実的な夢。この世は「地獄」。悪夢のループから抜け出すも、天国>>続きを読む
戦中日本の精神性についての比較文化論。ホモソーシャルな環境下、理不尽かつ温情主義的なリーダーシップや過剰な自己犠牲の是非を英国人捕虜の価値観を鏡にして問いかけ、所々に日本風刺が折り混ざる。テーマの重さ>>続きを読む
主人公の若き男女から溢れ出る、「生」(=「正」・「性」)へのエネルギー。性愛や金銭への欲深さは時に美人局や暴力、裏切りとなり増幅される。病院内での壁越しの会話が、前の世代から次の世代へと価値観が変わり>>続きを読む