タケオ

FARGO/ファーゴ 始まりの殺人のタケオのレビュー・感想・評価

FARGO/ファーゴ 始まりの殺人(2016年製作のドラマ)
3.9
 コーエン兄弟の『ファーゴ』(96年)を原案とした、人気TVドラマシリーズ『FARGO /ファーゴ』のシーズン2。本シーズンの物語は、前シーズンの27年前のノースダコタ州ファーゴから始まる。どこにでもいるような普通の主婦ペギー(キルスティン・ダンスト)は、ある日ダイナーの前で人身事故を起こしてしまう。パニックに陥ったペギーは夫のエド(ジェシー・プレモンス)とともに死体を処理して事故を隠蔽しようとするが、車で引いてしまったのはなんとファーゴ一帯を仕切るギャング'ゲアハルト一家'の息子だった。息子が失踪したことをキッカケに、ゲアハルト家とカンザス・シティからやってきたギャングたちとの抗争はさらに激化。事態は加速度的に悪化していき、死体がゴロゴロと転がるような陰惨極まりない惨劇へと発展していくのだった———。
 前シーズンのような分かりやすいギャグシーンこそ鳴りを潜めたものの、不謹慎極まりないユーモアやシュールな雰囲気はシーズン2でもまだまだ健在。分かりやすいギャグに走らない分、前シーズン以上にドライなタッチが全面に押し出され、「世の不条理を前にした時、人間という生き物はあまりにも無力でちっぽけな存在である」というテーマがより切実に迫ってくる。本シーズンで起こる事件が、前シーズンの27年前に起きたものだという点も重要だ。シーズン1とシーズン2は「ソルヴァーソン家の時代を超えたサーガ」という関係にあり、ソルヴァーソン家の父と娘は、それぞれ異なる時代で陰惨極まりない事件と立ち合う羽目になる。そしてあまりの異常事態を前に、「昔はよかった、最近の事件はまるで理解できない」とボヤくわけだが、結局のところ「時代を問わず常に世界は不条理で残酷だ」というのが『FARGO/ファーゴ』シーズン1に対するシーズン2のアンサーだ。物事の因果はあまりにも不条理かつ複雑で、無力でちっぽけな人間にどうこうできるものではない。第9話のクライマックスに出現するある'とんでもないモノ'も、そんな人間の無力感により強い説得力を与えている。「人間ごときに全てが理解できると思うなよ!」という’極めて真っ当な主張'が『FARGO/ファーゴ』シーズン2には込められている。
 とはいっても、映画版やシーズン1と同様にシーズン2の後味もとっても爽やか。いずれの作品も、家の中で家族が静かに肩を寄せ合うカットで幕をとじる。世界は常に不条理かつ残酷で、無力でちっぽけな人間にはせいぜい肩を寄せ合うことぐらいしかできない。しかしだからこそ、その何気ない日々の幸せを大切にするべきなんじゃないの?と『FARGO/ファーゴ』は問いかける。どこまでも鑑賞者を突き放したドライな作品のように見せかけておいて、実はとっても温かいシリーズなのではないかと思う今日この頃である。
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