マイノリティにとって大きな障害は、
みんな同じルールを求められる学校かもしれない。
"無理なものは無理なんです"
健常者が出来るからって、頑張ればできるでしょ?我儘でしょ?と言われる残酷さ。
どうして当事者ができないと言ってるのに、健常者の感覚で出来ると言うんだろう?
我儘とは思うのに、同じマイノリティの中で1人でも出来る人がいると、あの人は出来たという。
そのことには、大事なものを守るために無理をしている、とは思わないんだよね。
確かに中には出来るようになることがあるかも。あったら嬉しいけど、求めているのは寛容さではなく、自分で選べる自由だから。
「本来なら部活動を続けることが出来た生徒まで、
この同好会に入ることでやめてしまうかもしれない」
そのまんまLGBTQ関連の文脈で聞いたことがある。だとしても、その何が悪いことなんだろう。
部活動を頑張りたい人は頑張ればいいし、そう出来ない人はそれを選ぶ自由があっていい。
ただ、私もその気があるんだよね。
頑張れるなら頑張ったほうがいいと思っていて、
他人から頑張らなくて良いじゃん、って言われるとむしろ怒りを感じるタイプ。
だって、頑張るに、大きさは無いよね。たとえその同好会が頑張らないをテーマにしていても、あまねも琥太郎もどう見たって2人とも大事な人を守るために頑張ってるから。
それは大きさを比較されたり、強要されるものじゃない。
この世の中は競争社会。立ち止まると周りが高速に感じる。
それでも、自分も守るために立ち止まる、立ち止まることを選べる勇気をくれる、そんな温かな作品だった。