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コブラ会 シーズン2のタケオのレビュー・感想・評価

コブラ会 シーズン2(2019年製作のドラマ)
4.3
 『コブラ会』のシーズン2は、コブラ会の創始者ジョン•クリーズ(マーティン•コーヴ)が登場したことで波乱の展開を迎えることとなった。主人公のジョニー(ウィリアム•ザブカ)が「反省し変化する人物」であるのとは対照的に、ジョン•クリーズは「変化できない人物」だ。ジョニーは勝ち負けではなくクールであることこそが大切だ=相手に敬意を示すことこそが大切だと考え、「先に打て、強く打て、情け無用」というコブラ会のスローガンそのものを見直そうとする。しかしジョン•クリーズは、そんなジョニーの指導方針を「負け犬のやり方だ」と一掃。ジョニーが不在の間に生徒たちへ、コブラ会のスローガンを継承すること、そして何よりも「情け無用」であることこそが大切だと叩き込む。弱者を切り捨て、良識やイデオロギーよりも強者であることを重視するジョン•クリーズの姿は、第45代アメリカ合衆国大統領ドナルド•トランプと重なるものがある。
 ジョニー率いる「コブラ会」と、ダニエル(ラルフ•マッチオ)率いる「ミヤギ道場空手」の対立を、ジョン•クリーズが煽っていく。ジョニーとダニエルの因縁やすれ違いが最悪の形で生徒たちへと引き継がれ、両者の分断へと繋がっていく様はあまりにも残酷だ。恋愛、友情、家庭環境など様々な問題を抱えた生徒たちの間にも、次第に緊張感が高まっていく。その緊張感が遂に一線を超え、学校内で大乱闘が巻き起こる第10話の衝撃を前には、思わず息をのむ。怒り、嫉妬、猜疑心といったあらゆる負の感情がスパークし、「情け無用」というコブラ会の古き悪しきスローガンを、最悪の形で生徒たちが体現してしまう。「コブラ会」と「ミヤギ道場空手」の生徒だけでなく、全く関係のない学校にいただけの生徒たちもその乱闘に巻きこまれていく様は、近年のアメリカにおけるデモや暴動の光景を彷彿とさせるものがある(もちろん、デモを否定するつもりはない。デモは社会的弱者が権力者に対して行使することのできる数少ない武器の1つである)。乱闘の最中でただ1人、「情け無用」という古き悪しきスローガンに逆らおうとしたミゲル(ジェロ•マリデュエナ)を待ち受ける結末は、『コブラ会』シーズン1の結末に対する痛烈なアンサーだ。ジョニーのみならずダニエルの生き様までも、完膚なきまでに否定してしまう。
 『コブラ会』のシーズン1は「価値観のアップデート」にこそ物語の重点が置かれていたが、シーズン2は「過去の継承」にこそ物語の重点が置かれている。旧世代の対立や因縁が最悪の形で新世代へと受け継がれ、過去を「古き良き時代」と美化する者が小さな火種を煽り、分断の果てに目も当てられぬ悲劇へと突き進んでいく。弱者を否定し、良識やイデオロギーを無用の産物として切り捨てる「強者の論理」がいかに唾棄すべき醜悪なものであるかがよくわかるだろう。ここにきて『コブラ会』は、「病めるアメリカ」そのものを体現するドラマとなったのだ。
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