kura

ここは今から倫理です。のkuraのネタバレレビュー・内容・結末

ここは今から倫理です。(2021年製作のドラマ)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

「それでは、倫理を始めます」

※倫理=人としての正しい行動。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。道徳。モラル。

倫理を教える教師と、彼が受け持つ高校生らとの出来事が描かれる。
日々価値観が揺さぶられ続けるこの世界で、新時代のあるべき「倫理」を問う。

・高柳(山田裕貴)
高校教諭。淡々とした口調と無表情で冷淡な印象を与えるが、想定外の事態に直面すると、人間らしい慌てた表情を見せたりもする。哲学者の言葉を引用することが多い。喫煙者。


#1
・愛こそ貧しい知識から豊かな知識への架け橋である
(マックス・シェーラー)

・善なる者は吾これを善とし、不善なる者も吾これを善とす。徳は善なればなり。
(老子)

#2
・不安は自由のめまいだ
(キルケゴール)

#3
・たえず自分を鏡に映し、美しければそれにふさわしい人になるように、醜ければ教養によってその姿を隠すように
(ソクラテス)

#4
・人間は気ままに生きると争う悪になる
(カント)

#5
・身体とは"生きられた“身体だ
(メルロ=ポンティ)

#6
・他者への没頭は自分から逃げるための手段である
(エリック・ホッファー)

#7
・常識は既に或る信仰である
(三木 清)

#8
・人間は考える葦である
(パスカル)


一話から引き込まれ、今クールで一番注目していたドラマでした。
メインターゲットは10代だとは思いますが、そこに該当しない(どちらかと言うと高柳目線で鑑賞)自分でも非常に興味深い内容でした。
(ドラマの枠をこえて教材としても十分に通用すると思います)

このドラマの核となる高柳先生を演じた山田裕貴さんの演技が見事。
声、口調、生徒との接し方、喫煙所内の高柳…etc.
はまり役。実に素晴らしい。

「映画に縛られる二時間は、自由はないが不安も無い。それは、ただ単純に楽しい時間です」(2話)

「約分しない方が伝わりやすいと思ったんですよ」(6話)

特に、この2つのシーンの高柳がめちゃくちゃ良い◎

大団円でなく、このドラマらしい終わり方も好み。余韻が凄い。是非とも続編を。

※生徒役の若い俳優の方々も今後注目していきたいですね。


"何が『善』で、何が『悪』か“

"ちゃんと考えなさい。自分にとって、何が善か悪かぐらい“

"僕は、どうするのが正しかったんですか“

"勉強するのは何のためにですか?“

"4分の2くらいな気がします、棄てていたとしても。約分しない方が伝わりやすいと思ったんですよ“

"やっぱり、4分の1かもですね“

"自分の為に、生きてくださいね“

"時代や社会、場所や立場によってなにが正義とみなされるかは変わる。政治や経済に関する主義主張は無数にあります。その全てが不完全だからこそ、今尚、真の幸福な社会を目指して人々は考え続けているのです。
皆さんの中にも、この世界の矛盾を全て解消するような、新しい主義を生み出す人がいるかもしれない“

"私は、なに主義なんだろう?“

"(やめればいいのに、やめないだけのなにかがあるってことなんですよね、きっと。)
主義というのは、そういうものです。コロコロと変えられるようなものじゃない“

"どんな主義主張でも最後に目指されるのは幸福のみ。
どうすればより多くの幸福を実現できるのか考えましょう。それが倫理です“

"最大多数の最大幸福。そのために、たった一人の犠牲は容認されるのか“

"ノーコメントはYESと同じだろ“

"それは納得できる?“

"この問いに僕は明確な結論は出せません。一人一人に意見があって、それ全てに一理ある。共同体を維持するために誰かに我慢を強いていいのか、正しさを守るために人を傷つけていいのか、自分の意思は他人の意思より尊重されるべきか“

"我々の尊厳の全ては考えることの中にある。
ですから、考え続けて下さい。思考し続けて下さい。自分のことだけじゃない、目の前にいる相手の気持ちを、見も知らぬ遠い異国の人のことを、過去に生きてきた人のこと、これから生まれる未来に生きる人たちのことを。
世界は広大で宇宙はどこまでも広がっていますが、あなたたちはその果てまでも飛んでゆくことができる“

"同じ世界に生きてても、同じものが見えているとは限らない“

"ではまた、倫理の時間に会いましょう“

原作『ここは今から倫理です。』雨瀬シオリ

(追記)
最終回後の特別編。
「ここはぺこぱと倫理です。スペシャル」で紹介された哲学者の言葉。

愛は落ちるものではなく みずから踏み込むものだ
(ドイツの哲学者フロム)

・「愛」は受け身の感情ではなく、能動的に与えるものと考える

苦痛に負けることは恥ではない
快楽に負けることこそ恥である
(フランスの哲学者パスカル)

・苦痛はみずから痛みに立ち向かった証しなので誇りに思ってもいいと説く
kura

kura