サマセット7

エルム街の悪夢のサマセット7のレビュー・感想・評価

エルム街の悪夢(1984年製作の映画)
4.0
監督は「スクリーム」シリーズ、「パニック・フライト」のウェス・クレイヴン。
主演は「エルム街の悪夢3惨劇の館」「エルム街の悪夢/ザリアルナイトメア」のヘザー・ランゲンカンプ。

[あらすじ]
1980年代アメリカ。
女子高生のナンシー(ランゲンカンプ)とティナは、焼けただれた顔にナイフのような爪を手に付けたフレディの名乗る怪人(ロバート・イングランド)に追われる悪夢を見る。
悪夢を恐れたティナは、親の外泊中に家にナンシー、ナンシーの幼馴染のグレン(ジョニー・デップ)、ティナの恋人ロッドの3人を呼んで共に泊まってもらう。
しかしその夜、ティナは睡眠中に何者かに襲われ、血塗れになって殺される。
警察はベッドを共にしていたロッドを逮捕するが、ナンシーは、夢の中に現れた殺人鬼フレディ・クルーガーの仕業であることを確信する…。

[情報]
1984年公開のホラー映画。
「ハロウィン」「13日の金曜日」と合わせて、世界三大ホラー映画、と呼ばれることもあるヒット作。
ヒットを受けてシリーズ化され、6つの続編、リメイク、テレビシリーズ、「ジェイソンvsフレディ」など、派生作品が多い。

監督のウェス・クレイヴン(2015年没)は、今作以前には「鮮血の美学」「サランドラ」などのホラー作品を撮ってきた人物だが、今作のヒットで一躍メジャー監督となる。今作以降も、「スクリーム」シリーズでもヒットを出しており、ホラー映画監督としては、押しも押されぬ巨匠の1人、と言えるだろう。
なおクレイヴンのデビュー作「鮮血の美学」のプロデューサーであるショーン・S・カニンガムは今作公開の4年前に「13日の金曜日」の監督を務め、大ヒットを飛ばしている。
カニンガムとクレイヴンは知人同士で、その2人がホラー映画史上に残る二代作品を生み出した、というのは、面白い。

今作は、「悪魔のいけにえ」「ハロウィン」「13日の金曜日」の系譜に連なるスラッシャーホラーであるが、先行作の成功要因を継承しつつ、今作ならではの独自の特徴を加えている。
継承されているのは、超人的な殺人鬼キャラクターの存在、ティーンエイジャーの連続殺人を扱うこと、都市伝説や過去の事件が殺人鬼のバックボーンになっていること、などである。
先行作が確立したスラッシャーホラーのお約束の数々(セックスしたら死ぬ、など)は、今作でも踏襲されている。

今作独自の味としては、殺人鬼フレディの特徴的キャラクターに加え、フレディが夢の中に出現し、現実にも影響を及ぼせる(必要に応じて現実に実体として出現できる)、という点であろう。
その結果、「殺人鬼との遭遇を避けるため、寝てはならない」という、従来と異なる軸のサスペンスが生まれた。
また、ことが夢であるだけに、主人公らの言うことを、周りの大人たちが信じてくれない(むしろ、睡眠させようとする)という、ニューロティックホラー的な面白みも生まれた。

フレディは、無言で迫り来るマイケルやジェイソンと異なり、ケタケタ笑うし、結構喋る。
夢の中では、瞬間移動もお手のもの。
明らかに獲物をいたぶることを楽しんでおり、爪で音を立てたり、無駄に追い回したり、といった怖がらせる行動も多い。
その結果、観客は、明白な悪意を感じずにはいられない。

今作は、180万ドルという低予算で作られ、2550万ドル超の大ヒットとなった。
現在でも史上最高のホラー作品の一つと評価されており、特に批評家から非常に多くの支持を集めている。

[見どころ]
悪夢の中の、恐怖演出の数々!!
教室に現れる死体!!
風呂!!!
線の切れた電話!!
鏡!!
結構ユーモラスでもあるフレディの立ち振る舞い!
夢であることを踏まえた、主人公とフレディの頭脳戦めいた攻防!!
そのクライマックスたる、最終決戦!!!
精緻に作られた作品だけに、テーマを考えるのも面白い。

[感想]
さすが有名作品、エンターテインメントとしてしっかり面白い。

正直、フレディ自身の怖さや、連続殺人のサスペンスにおいては、先行作を上回る点はないように思う。
見た目のインパクトは凄いが、嘲るように追い回すフレディのやり口は恐怖というより、不気味、という感じだ。
出くわしたら命がないと思わせるマイケルやジェイソンと比べて、フレディの場合はあまり強くなさそうで、追い詰められても何とか切り抜けられそうな感じがある。

むしろ今作の魅力は、話のリーダビリティにある。
夢で襲われて、なぜ現実に傷を受けるのか?
夢の中に現れる殺人鬼から、どうすれば逃げ切れるのか?
殺人鬼の正体は?
なぜ主人公たちは狙われるのか?
こうした謎が散りばめられて、観客の注意を牽引する。

被害者となる若者たちのキャラクターが、記号的に捨象されていた先行作と比較して、今作の主人公とボーイフレンドには、両親がおり、キャラクターに奥行きがある。
親子の関係は、基本的に主人公たちの障害として機能しており、リーダビリティを強める働きをしている。

とはいえスラッシャーホラーとしての本作にも魅力はある。
悪夢、という特徴を活かした超自然的な現象の数々がそれだ。
風呂桶の中から例の爪の手が出てくる!!とか。
大量の血液が天井に向かって噴き上がる!!とか。
バリエーション豊かな演出の数々は、不気味と馬鹿馬鹿しさの間のギリギリのラインだが、次に何がくるか?という興味を引き立てる。

ラスト、現実と夢の境界は曖昧になり、インセプションを思い起こさせる、幻惑的な感覚を覚えさせられる。
全体として、予算や時代による限界はあるものの、非常に完成度の高いエンタメ作品であると感じた。

[テーマ考]
今作において、親による支配/管理/良かれと思った行動が、子に対する抑圧/障害/害悪となる、という現象が繰り返し描かれており、今作のテーマとなっている。
主人公の強権的で娘の話を聞かない父親しかり、アルコール依存気味で、娘のため、と言いつつその話を真に信じようとしない母親然り。
終盤の主人公の自宅を覆う両親が設置した鉄格子は、子を捕える牢獄を意味する。
終盤に明らかになるフレディが被害者たちを襲う理由は、親の因果が子に巡る、というもので、示唆的だ。

80年代は、50年代から60年代にかけて形成された核家族モデルが崩壊し、家庭において各方面で問題が噴出した時代であり、今作は当時の社会問題に沿った作品と考えることもできる。

また、今作の監督のウェス・クレイヴンは、厳格な家庭で育ち、子供時代は映画鑑賞すら許されなかったという。
監督の「親による無理解と束縛」への嫌悪感が、今作を作らせた、という考察も、あながち的外れではあるまい。

終盤の主人公の主体的な行動は、親による束縛を前にして、如何にして自分の人生を取り戻すか、に関する、監督の回答、と見ることもできよう。
その場合、ラストシーンをどう解釈するかは、なかなか悩ましい。

[まとめ]
世界三大ホラー映画といわれる3作品のうち最後に公開され、先行作品の良い所を煮詰めて、独自の魅力を加えた、模範的ホラームービーの名作。

今作が歴史に残るもう一点は、かのジョニー・デップのデビュー作である、ということである。
睡魔に負けて易々と眠りこけてしまう、頼りにならないボーイフレンドを好演している。