サマセット7

スクリームのサマセット7のレビュー・感想・評価

スクリーム(1996年製作の映画)
3.9
スクリームシリーズ第1作。
監督は「カサンドラ」「エルム街の悪夢」のウェス・クレイヴン。
主演はシリーズ通じて「ワイルドシングス」や「ハウスオブカード」(ドラマ)のネーヴ・キャンベル。

[あらすじ]
カリフォルニア州の町「ウッズボロー」にて、両親の留守中の女子高生ケイシー(ドリュー・バリモア)は、不審な電話を受ける。
ホラー映画について嬉々として語る電話の相手は、徐々に常軌を逸していき…。
同じ街に住む女子高生シドニー(ネーヴ・キャンベル)は、一年前母親を殺害されていた。
父親が出張に出かけたその夜、シドニーの元にも電話が…。

[情報]
1996年公開のスラッシャー・ホラー映画。
「エルム街の悪夢」などの先行作ですでにホラー映画の巨匠と評されていたウェス・クレイヴン監督が、新たに大ヒットを飛ばした作品である。

今作は,70年代から80年代にかけて隆盛し、そして、自己模倣に陥って死滅した、と言われていた「スラッシャー・ホラー」ジャンルを、90年代に復活させた作品として知られる。

今作の顕著な特徴として、「ハロウィン」「13日の金曜日」「エルム街の悪夢」といったヒットした先行スラッシャームービーに対して、作中で頻繁に言及される。
特に、終盤のパーティーシーンで、ホラー映画オタクのキャラクターが、「ホラー映画の法則」を語る場面は有名だ。
また、今作では、先行のホラー映画の特徴的な展開が、パロディ的に引用されたり、または意図的に外されたりする。
今作の殺人鬼自体、ホラー映画について電話で熱弁する映画狂という設定で、そのマスク姿は「悪魔のいけにえ」「ハロウィン」「13日の金曜日」を彷彿とさせる。
いずれも、スラッシャーホラー映画ファンに対するくすぐりであると共に、作品にダークなユーモアと、「あるある展開」を外すことによる予測不能性を産んでいる。

ウェス・クレイヴン監督(2015年没)は、スラッシャー映画にエンタメ性を付加した名作「エルム街の悪夢」の監督だ。
彼は今作でも、非常にロジカルに、エンタメ性に優れた作品を作っている。

今作はスラッシャーホラー/ダークコメディであるが、さらに、フーダニット・ミステリーとしての要素も併せ持つ。
「ゴーストフェイス」の仮面の下は、誰なのか?
スラッシャーホラーのシンボルの一つである殺人鬼の仮面が、フーダニットとして機能する、というのは、ある種の発想の転換であろう。
なお、電話の音声、仮面の殺人鬼、その中の犯人は、それぞれ別に声優(シリーズ通じてロジャー・L・ジャクソン)、スタント、俳優が起用されている。
特徴的なマスクは、ムンクの「叫び」をモチーフにしたハロウィン用の市販の仮装マスクを利用したもの。

今作は、1500万ドルの予算で作られ、1億7000万ドルを超える大ヒットとなった。
この記録は、2018年の「ハロウィーン」まで、スラッシャー映画史上最高であった。
今作は批評的にもこのジャンルにしては高く評価されている作品である。
好評を糧にシリーズ化しており、現在は「スクリーム6」まで、5作の続編が作られている。

[見どころ]
ホラー映画のお約束を風刺する、言及の数々!
スラッシャー映画を見ていれば見ているほど楽しめる!!
お約束は当たるのか?外れるのか?
コイツ、絶対殺される!というキャラの迎える結末は??
バージン生存の法則は、童貞にも適用されるのか!!?
殺人鬼ゴーストフェイスのマスクの下の素顔とは?
予測不能のエンターテインメント!
怖さそのものはマイルドだが、ジャンプスケアあり、暴力描写あり、で飽きさせない!

[感想]
何度目かの鑑賞!
面白いー!!!

冒頭10分間の、ドリュー・バリモアのシーンがまず、ホラー映画史に残る。
切ってもしつこくかかってくる電話!!
ホラー映画の殺人鬼の名前当てクイズ!!
殺人鬼による、「演出」!!
今作のキラーのサディスティックさを印象付ける!!
言うまでもなく、子役として知られたドリュー・バリモアは今作出演キャスト中、今作公開時点で最も知られたキャスト。
当然ながら主役としてキャスティングされたはずだが…。

ウェス・クレイヴン監督は、エルム街の悪夢では、「いかにして、眠らないか」という、異なる軸のサスペンスを導入してエンタメ性を高めていた。
今作では、「仮面の下の素顔は、何者か」というミステリー要素を導入し、観客に推理させることで、エンタメ性を産んでいる。

今作では、セックスに消極的な女性主人公、関係を進めたいイケメン彼氏、主人公の奔放な同性の友人、友人の彼氏のパーティー野郎、友人の兄で人の良さそうな警察官、ホラー映画オタク、いけすかないリポーターとカメラマン、といった、いかにもなキャラクターが配置される。
彼らの類型的なキャラクターは、一見して、過去のホラー映画のお約束から類推して、「コイツ、殺される!」「コイツが犯人!」「コイツは犯人と見せかけて、殺される奴!」などと予断を抱かせる。
しかし、その観客の予断こそが、脚本家の企みなのだ。

今作のブラックユーモアの多くを担う、ジェイミー・ケネディ演じるホラー映画オタクの友人ランディが面白い。
彼の提唱するホラー映画3大ルール(セックスすると死ぬ、酒とドラッグを嗜むと死ぬ、すぐ戻る、と言うと死ぬ、の3つ。演説中に意味ありげなカットバックが入る)といい、「後ろ!後ろ!」のシーンといい、彼の辿る顛末といい、全部が楽しい。
今作の象徴的キャラクターだろう。

意外と田舎町の映像は綺麗で、幻想的だったりする。

難点は、全体として殺人鬼はあくまで反抗可能な人間であり、スラッシャーホラーにしてはモンスター的な怖さが大したことがない点、後に引く余韻がない点などか。
いずれも従来型のホラーに期待する点だが、今作は、あえて捨てている、という見方も可能だろう。

全体としてエグめのエンタメに振った大人向け娯楽作品で、楽しめた。
今作のスキームを維持してくれるなら,シリーズを追うのも面白そうだ。

[テーマ考]
今作は、スラッシャー・ホラーというジャンルの枠組みや約束ごとを最大限に活かしつつ、フーダニットミステリーとパロディ/ブラックコメディの面白さを表現した作品である。
昔ながらのものを複数ミックスさせて、新しい何かを生み出す、という意味で、革新的作品、と言うに相応しい。
となると、今作のテーマは、スラッシャーホラーの革新、脱構築、ということになろうか。

あるいは、今作は、スラッシャーホラーの自己言及的作品であるところ、スラッシャーホラーとは、何か、がテーマとも思える。

今作の殺人鬼像が示唆するのは、その軽薄さだ。
ホラー映画にのめりこみ、楽しいから、面白いから、という理由でいたぶるように殺戮を犯す。
無邪気な残虐さ。

そして、観客は、その殺人鬼に追い回される被害者の姿を、娯楽として楽しむ。
観客は、お約束だから、というだけの理由で、コイツ、殺される!と考える。
その、軽薄さ。

スラッシャーホラーとは、殺人鬼の殺戮を描く作品だ。
それを娯楽として求めたのは誰だ?

仮面の下の素顔は、誰だ?

[まとめ]
死んだと思われたスラッシャーホラームービーを、自己言及とブラックユーモアとフーダニットで蘇らせた、不死鳥のごとき名作。

好きなシーンは色々あるが、なぜか、車庫のシーンが忘れがたく印象に残っている。
導入から結末まで、今作ならではの独自性に満ちた、冒頭のケイシーのシークエンスと並ぶ名シーンである。