緑雨

生れてはみたけれどの緑雨のレビュー・感想・評価

生れてはみたけれど(1932年製作の映画)
3.8
AmazonPrimeビデオの活弁ありバージョンで再鑑賞。

大人には大人同士の、子供には子供同士のヒエラルキーや人間関係がある。そこに親と子という縦軸を通すと関係性は複層的になる。ましてや親は嘗ては子供だったし、子はいずれ大人になるのである。その抗い難き運命を微笑ましくも切なく描いているからこそ、90年経ってもこの作品は普遍を保っている。

「郊外」の荒涼とした風景、テニスや16ミリでの活動写真に興じる富裕層ライフ、「中将になるんだ」という将来の夢、当時の時代感が垣間見られて興味深い。

一方で、弁当箱を頭に乗せる、「シェー」みたいな歌舞伎?ポーズ、背中に看板背負わされた子、呪文で倒れて起き上がるお約束、雀の卵が示すステータスなど、数々の印象深い習俗で描かれる子供世界の有り様が楽しい。

斎藤達雄演じる父ちゃんのキャラクタもモダンでユニーク。活動写真の中で明らかになる、ぶっ飛んだ変顔パフォーマーへの豹変っぷりは衝撃的。

学校へ向かう子供たちの背中を追ったり、父ちゃんの職場の同僚たちのデスクをパンしたり、案外アクティブなカメラワークは、戦後小津のフィックス撮影を見慣れた身からすると新鮮に映る。
緑雨

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