黒澤明監督の「生きる」のリメイク作品。
本家を鑑賞したことがないので、純粋にこの作品の感想を書きます。
【静的描写が雄弁な映画】
本当にこういう映画好き。
多くは語らない、ストーリーの余白もあんまりちゃんと説明されない、大きな事件も起こらない。丁寧にくどいほど描かれる日常の様子が、静的な主題のストーリーを自然に引き立たせる。
誰も声を荒げないし、わかりやすい自己主張はしない。それでも、その目配せや言い淀んだ言葉、あるいは長く映し出される表情が、言葉では無く実感として、人物の感情を私たちに伝える。
特殊能力もヒーローも出てこない。誰の日常にも潜むドラマだからこそ、こういう表現が生きる。こういう映画を見ると、私達の日常はドラマチックなのだと思い出す。
映画にしかできないこういう表現が本当に好き。映画において沈黙と余白はものすごく雄弁なんだと強く感じた。
【ストーリーの感想】
※以下ストーリーの内容を含むのでまだ観ていなくてネタバレが嫌な人は読まないでね
末期癌で残り半年の余命宣告をされたウィリアムが、自分の生き方を見つめ直す物語。
その過去も人となりも多くは語られず、余白が多い。
大仰な綺麗事でなく淀みなく進む世界の一部として、リアリティを持って描かれているのがすごくよかった。
ウィリアムが最期にやり遂げた仕事を見て、「俺たちは課長の生き方に倣おう」と部下は誓った。しかし月日は流れ、再び彼らが“お役所仕事”に戻ってしまう様子まで、ご丁寧に描かれている。ウィリアムが作り上げ、多くの人に感謝された遊び場も、きっといずれ忘れられる。
それでは、ウィリアムの最期の生き方は自己満足だろうか?無意味だろうか?
息子には息子の人生がある。ウィリアムはおそらくは気まずさと心遣いで、息子には病気のことを黙っていた。ウィリアムが微笑む遺影の前で、なぜ自分には教えてくれなかったんだと泣き崩れる息子。病気のことを教えられていたハリスは、何も言えない。
ウィリアムが目指したのは「本物の紳士」だった。それは人の評価に依存せず、自分に誇れる生き方をすることだったのではないか。
あえて描かれたこういう残酷な(これは言い過ぎだけど笑)シーンには、そういうメッセージが込められてるのかもと思った。
残された余命が半年だと告げられた時、自分ならどう生きるだろう?
ベンチで思い悩むウィリアムスの横をベビーカーやカップルが通り過ぎる。眩しいほどの命の気配が、切なさを際立たせる。
貯金をおろしてみる。夜通し飲んでみる。女の子とデートしてみる。今だからできる遊びをさまざま試した後に、ウィリアムが戻ったのは仕事場だった。
私達の日常はひどくありふれている、しかし見方さえ変えればとんでもなくドラマチックだ。死んだように生きていた1人の平凡な男が、命の輝きを魅せる物語。